Turning 40th, Over the 10.

Turning 40th, Over the 10.

昨年末で不本意ながら40代へと突入した。
これは、29歳でサイゴンに移住をした私が30代をまるまるベトナムのサイゴンで過ごしたということでもあるのだ。

結婚に興味を持たないまま、やりたいことをやり、稼ぐ能力も大してないくせに使いたいだけ金を使い続け、人生をダラダラと消化していたところなにかの拍子で出会いがあり、そのまま勢いよく結婚をした。

自分にはもったいないくらい良い奥様で、英語が上手なうえに人の言いたいことを汲むのがうまいのでコミュニケーションにも困らないし仕事をすることが好きで自立していて稼ぐ力のある人なので生活を共にしながらもそれぞれで自由に生きている。
私はただ赤子のようにやりたいことをやっていれば上手に手のひらの上で転がしていただけるので大変助かっている。なんだかんだで私の人生は要所要所で良い出会いがあり人生のそれなりにハードなタイミングでいつも周りの人々に救われ続けている。運が良い。

さて、コロナとかいう謎のウイルスが猛威を振るっていたのが嘘のように突如すべての制限が取っ払われ。突然過保護の檻を追い出された我々は恐る恐る世界を見ながら外を散策する日々だが、どうやらこの世界はあの喧騒の間に少し形が変わってしまったようで思ったよりもうまく行かないことっていうのがうっすら増えた印象がある。

食べたいものを食べること、会いたい人と会うこと、家を出て行きたいところへ行くこと、そんな当たり前の生活に突然制限がかかってしまった。というあの日々の経験はちっぽけでしょうもない、足りない経験の中で培った狭い価値観にすがりついて生きている我々みたいなしなびた人間がただ何となく過ごしていた生活には思った以上の大きな影響を及ぼしているのだと月日が経つごとに実感をするばかりであり、自分ではどうにもできない強い制限の中で暮らし、自分と向きあってばかりいると人間はどうやら頭がおかしくなるらしい。ということがわかってきた。

正義はそれぞれの中にあり、並以下の知能しか持たぬ我々のような人間が認識できる世界なんてたかがしれているのでその価値観は結局人それぞれの歪み方をしているのに、それはその人にとってまごうことなき”正義”ではあるばっかりにその"正しさ"を拳に握りんこんで勢いよく他人をぶん殴りに行ってしまい、お互いに突然の喧嘩を売って売られてビビってめくれてなんとか被害者ポジションを必死に取りに行って恥を晒しながら安全帯まで逃げた後に改めて悪口を言い放して溜飲を下げる。

自分を肯定するために"世間"という正体不明の仮想の集合体へ価値判断基準を委ね、誰かが良いと言っていたブランドのロゴが大きく印刷された安っぽい服を着て、プラスチック製の写真写りだけが良いものに囲まれて、実際何をしているのかもよくわからない他人の表層的な生活にあこがれて分不相応な生活になけなしの資産を注ぎ込み、金も時間も何もかもが足りなくなり、誰かを不幸にしてまで稼いだくだらない小金にすがりつき、政治や世間、はたまた得体のしれないなにかのせいにして相変わらず恥をかきながら暮らしている。

これが我々の思い描いていた未来世紀、子供の頃に絵本の中であんなに輝いていた21世紀とはこんなものだったのだ。あの絵本の中で輝いていた世界とつながる未知のモバイル電子機器は画面の中に広がるパーソナライズされた広くて狭い世間を作りあげ、他人と自分を比べて羨みと妬みとフラストレーションを溜めむ人々を作り、人々はそれを発散するために他人を陥れる"正義"を振りかざすため存分に使っている。あの頃憧れた未知なるデバイスがこんなにもくだらないことをするために存在することになるなんて、あの頃の自分たちには想像もついていなかった。


最近は、自分は老いて行っているのか、それとも少しづつ気が狂って行っているのか。その区別がうまくつかないままなんとか日々を過ごしている。ああしようこうしよう、ああしなければ、こうしなければ、とあれこれ考えながらも日々が進めば進むほど思っていたのとは違う形で良くも悪くも結果がでてはついてまわる。

そんな日々に疲れてしまったがために、週末はとにかく酒を飲む。酒を飲めば毎回飲み過ぎて訳の分からないことを大声で叫びながら飲み続け、酒が深くまで沁み渡った脳はすべての解像度を極限まで下げ、人々の話し声や音楽が大きな音の渦となり襲いかかってくる。命からがら満身創痍で帰宅して気絶した翌日はよく眠れなかったがゆえに乾ききってうまく開けられないぼやけた目と、死んだほうがマシだと信じてしまいそうなくらい重たい身体を引きずってキッチンに行って水を飲み、コーヒーを淹れる。
よく冷えたアイスコーヒーを飲みながら、一度頭から引きずり出して地面に強く叩きつけてから元に戻したのかと疑うような感触を残す脳みその奥から断片的な記憶をひっぱりだしてくればそれはとても最低で最悪な気持ちにさせ人生を絶望させるのには充分なものばかりだ。

20代の頃は「生きていれば良いことがある」と自分に言い聞かせながらなんとか生きてきたが、年を取り「生きていると良いことはあるが、その数倍嫌なことがある。しかし稀にあるその良いことを大事に思いながら生きていくしかない」という気持ちになってきた。

なんとなくつらつらと書き連ねたが、結局人生は大変だが老いていくこの身体や頭と付き合っていくしかないので最低限の健康に気をつけながら今年もどうにか良い感じで生きて行けると良いな思う。