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Turning 40th, Over the 10.
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Turning 40th, Over the 10.

昨年末で不本意ながら40代へと突入した。 これは、29歳でサイゴンに移住をした私が30代をまるまるベトナムのサイゴンで過ごしたということでもあるのだ。 結婚に興味を持たないまま、やりたいことをやり、稼ぐ能力も大してないくせに使いたいだけ金を使い続け、人生をダラダラと消化していたところなにかの拍子で出会いがあり、そのまま勢いよく結婚をした。 自分にはもったいないくらい良い奥様で、英語が上手なうえに人の言いたいことを汲むのがうまいのでコミュニケーションにも困らないし仕事をすることが好きで自立していて稼ぐ力のある人なので生活を共にしながらもそれぞれで自由に生きている。 私はただ赤子のようにやりたいことをやっていれば上手に手のひらの上で転がしていただけるので大変助かっている。なんだかんだで私の人生は要所要所で良い出会いがあり人生のそれなりにハードなタイミングでいつも周りの人々に救われ続けている。運が良い。 さて、コロナとかいう謎のウイルスが猛威を振るっていたのが嘘のように突如すべての制限が取っ払われ。突然過保護の檻を追い出された我々は恐る恐る世界を見ながら外を散策する日々だが、どうやらこ

9年後の帰郷
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9年後の帰郷

29歳のゴールデンウィーク初日、東京の実家を出てベトナム・ホーチミン市に向かってからはや9年の月日が流れた。2020年以来、世界中で猛威を奮ったCOVID-19の影響で東京へ戻ることができないままベトナムでロックダウンを経験しつつ2年以上の月日が流れ、やっと隔離はあるものの行き来ができるようになり、そろそろ東京に行けるなと思っていた矢先、旧正月の直前に姉から母が倒れたとメッセージが送られてきた。 父は僕が6歳のときに事故で急遽した。 まだ40代前半だった母は僕と姉の生活を考えてそのまま、僕の祖母であり母にとっての姑と一緒に東京の父の実家でそのまま暮らすことを決めて祖母が亡くなるまで20年ちょっとの日々を非常に癖と我の強い姑と過ごしながら、なんとかかんとか一人で家計を担って子供二人を育て上げた。当の子である我々が立派に育ったと言えるのかどうかは正直わからないが、ふたりとも前科もなく一応勤め人として生きることができている。 独身時代は保育士だった母は子が生まれてからは退職して専業主婦になり、ほぼ無職みたいなものだった父親が亡くなったあと保育士に戻ってもその収入では生活が成り立たないので

9年目のQuarantine
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9年目のQuarantine

気がつけば8年経っていた。サイゴンへ来て住み着き、あれやこれやと生きていたら8年経っていた。 2,3年前のPostに書いた [https://notes.slowbirds.pub/2018/12/25/alone2018/] 家にまだ住んでいる。猫は増えた。 当時の同居人はパートナーとの間に子供ができて結婚したので家を出て今は嫁さんの家(一軒家)に嫁の弟と一緒に暮らしている。玉の輿だ。 一部屋空いてしまったのでスタジオにでもしようかな、と思って色々と手を出し始めたが、家賃の負担が一気に上がったので案外手元に現金が残らなくなっており、あまり進まないままだ。 少し生活を見直す必要があるように思う。冷蔵庫が壊れて購入し直したりしていて家も出ていないくせに割と出費がかさんでいる。 在宅ワーク中、「静かだな」と思って振り返るとだいたいこうなっている 思えば去年の4月ごろからじわじわとベトナム国内でも話題になり、隔離やらなにやらが始まった謎の疫病騒動がここまで長引くとは思いもよらなかったものだ。 そして、ここまでうまく封じ込め作戦をやってきていたベトナムにもとうとう、ウイルスが飛び込んできて

Social Distancing Dub.
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Social Distancing Dub.

ある日突然、みんなが新しいウイルスの話をし始めた。 ある日突然、そして日に日に、世界中が大騒ぎになっていった。 中国の問題?東南アジアの問題?むしろヨーロッパやアメリカのほうが被害がでかい?日本もやばい?むしろ日本がやばい?ベトナムはよくやっている? 新しいMIXを録音して公開したので、よろしければ聴きながらお読みくださいベトナム政府からのアナウンスで国中のバーやクラブ、その他の娯楽施設は閉鎖された。 程なくして飲食店はすべてデリバリーとテイクアウェイのみの営業になった。地域によってはテイクアウェイすらも規制された。 国外との飛行機は日に日に減便されていき、最終的にはすべてが停止され、国内の移動手段まで閉鎖された。 多くの会社は”WFH! WFH!”と叫び散らかしながら全面リモートワークに移行した。 もちろんIT企業である弊社もご他聞にもれず、しばらく家からお仕事と相成った。 FacebookやTwitterから流れてくる色んな国の色んな事情、怒号、発狂。狂人の狂言がバカをぶん回す。 Instagramで繰り広げられる充実したいろんな人間の虚飾にまみれたおしゃれな自宅での隔離生活。

正月が消えていく
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正月が消えていく

2019年が終わり2020年になった。 ハロウィンが過ぎると共に街にはクリスマスのイルミネーションが一気に増える。 年末に向けて仕事が忙しくなっていってバタバタしていると、いつの間にか誕生日が来て一つ年を取り、すぐにクリスマスが来て、街はにわかに浮かれていき、一瞬で年が明ける。 人々が口々にHappy New Year!と叫ぶが、この街にはまだ正月はやってこない。 ベトナムに住んでもう7年目ともなると、この1/1という日付に対する思い入れは本当になくなってきている。 この国では旧正月を祝う。 新暦正月に対しては”それなり”にしか祝わない。12/31まで出勤して祝日は1/1の1日のみで1/2から普通に仕事が始まる。 休み明けに出社してきたメンバーの顔は新年を祝っているという雰囲気よりももうすぐくる旧正月休みへの期待に満ちている。 今年の旧正月は1月最終週なので例年に比べると早く、新暦正月のあと3週間くらいですぐに旧正月がやってくる。旧正月があけると、そこにあるのは年度末だ。 僕らの仕事は日本の顧客を相手にしているので、あまりに猶予がなく今年の1月は例年以上にバタバタしている。 7年

猫のネコが家族になった
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猫のネコが家族になった

ある日、会社の若者から突然InstagramのDMで「どちらがよいですか?」のメッセージが添えられて2匹の生まれたての子猫の動画が送られきた。 どういった要件かよくわからないが、こちらでは往々にしてそういったよくわからないタイミングでよくわからない会話が唐突に始まるものなのでとりあえず「左の子がかわいいね」と適当に返した。 特にその日返信はなかった(これもまた、こちらではよくあることだ) 翌日会社でその子とすれ違いざまに「あのメッセージの子猫は何?」と聞いたところ前に雑談の中で僕が「猫を飼いたい」と言ったのを覚えていてくれて、ちょうど家で子猫が2匹生まれたのであげようとおもって。ということだった。 いつ受け取りますか?ということだったがすぐ数日後には1週間の東京出張が控えていたので「ちょっと準備期間を数週間くれ」と答え、急いでGoogleに”子猫 迎える 準備”と打ち込み、出てきたサイトをかたっぱしからチェックして必要そうなものをGoogle Keepにチェックリスト化して登録、通販でトイレやベッド、おもちゃなどいくつか購入、家の近所にあるペットショップを数件探して視察、餌やトイレ砂

俺とお前らの適切なDistance
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俺とお前らの適切なDistance

他人との距離感に悩み続ける人生だった。 ちょっと油断すると踏み込み過ぎて嫌われてしまうんじゃないかとびくびくしながら、しかし元来注意深い人間でもないので割と頻繁に踏み外して踏み込み過ぎて大したことは起きなかったり、やっぱり嫌われてしまったりしている。 人に嫌われるのがすごく怖くて人を遠ざけるような部分があるけど、やっぱりずっと一人ぼっちは寂しいし怖いからなんだかんだで他人との関わりを完全に断つこともできないままだ。 時々人を好きになるが(君たちはすぐに恋愛話にしたがるが、これは恋愛ごとだけの話ではない)、相手に拒絶されるのがとても恐ろしくて踏みとどまっている間に相手はどこかへ行ってしまう。 そしてそれが怖くて時折恐る恐る相手に踏み込んでみる。するとやはり拒絶をされたり、ときには受け入れられてびっくりして立ちすくんでしまう。 すぐにいろんなことから逃げる逃げ癖のついた人生、そのくせ逃げ足が遅くいつもそのへんの小さな障害物に足を絡め取られてすっ転んでる人生だ。 少し前に何もかもが面倒くさくなって、何もかもに疲れてしまって、すべてのSNSを削除して2週間ほど過ごした。 Twitter

ランボー怒りの麻婆豆腐
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ランボー怒りの麻婆豆腐

2019年の6月が驚きのスピード感でもって過ぎ去りいつのまにやら一年の半分を過ぎていて気がついたら7月になっていた。 最近は仕事上でいろいろな事があり、プライベートにおけるいろいろなことに思いを馳せる余裕もなくなってきた。 働き、金を稼ぎ、飯を食い、酒を飲み、音楽を探して買い、寝る。 平日に時々サウナに行ってブツブツと独り言を言いながら水風呂とサウナを行ったり来たりして頭を空っぽにし、週末はクラブへいって音を浴びて頭を空っぽにしながら足踏みをする。 世の中にはうまく行っている人もいるしうまく行っていない人もいる。 時間は放っておいても進むから気がついたら1年が終わり、5年経ち、10年経ち、そのうち死ぬ。 やらなければいけないことが目の前にうず高く積み上げられているのを毎晩眺めながらビールを飲んでいる。 手を付けることもないまま軽く酔っ払い始めた頭で思いだけ馳せて「明日頑張ろう」と独り言をつぶやきながら歯を磨いて、寝る。 そして翌日同じようにビールを1本、2本と胃に流し込みながら前を見上げてみるとそれは更に高く積み上がっていて、下の方はもう潰れてぐちゃぐちゃになって手もつけられない

We were Depressed at all.
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We were Depressed at all.

本当にいろいろなことがあった数ヶ月だった。 そんな中でこの間ベトナムに来て丸6年が経過した。 6年いて何ができただろう?大口叩いて偉そうにいろいろと口出しして説教垂れながら、一体なにが実現できただろう? ただなんとなく年をとって、ただなんとなくホーチミンで6年を過ごした。 Organik Festival初日は土砂降りだったが祈りが通じてどんどん晴れていった。 今年は2月にネパールへ行き、その後フェスにブッキングをもらって国内のビーチへ行き、東京出張、京都へ友達の結婚式、そして4月終わりの連休には去年と同じく台湾のOrganik Festivalへ行き帰ってきてすぐに社員旅行でDa Latというベトナムの軽井沢みたいなところへ行った。 いつも家でゴロゴロしながら独りで酒を飲み続けているだけの人生なので、こんなに短期間でたくさん外へ出たのは本当に久しぶりのことだった。 すべて(当然、社員旅行以外だけど)一人で計画して一人で行ったがほとんどの行き先には偶然友人がいたりして結果的に孤独ではなかったりした。 その移動の合間を縫ってまたいろいろなことも起きて疲れと現実感のなさにバカでかい5月病

何者にもなれなかったけど何かを諦めきれないおっさんという存在
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何者にもなれなかったけど何かを諦めきれないおっさんという存在

去年末で35歳になった。今年36歳になる。 もうこれは、どうあがいたところでまごうことなきおっさんだ。 おっさんの定義ってなんだろう?とか色々考えてさんざん駄々を捏ねたが、まぁなにわともあれ35歳は間違いなくおっさんだろう。という結論になった。 ココ最近のエントリーを読んだという非常に趣味の悪い読者の方はお気づきかと思うが35歳を迎えた直後くらいからここ数ヶ月完全に精神をおかしくしてしまっていた。特に旧正月に訪れたネパールで完全にこじらせてしまってからのここ2ヶ月くらいは本当に辛かった。 原因としては色々と思い当たるフシはあるのだけど人生は常に内から外から色々な要素が複雑に絡み合って事象を構成するので原因が一つの物事に帰結してそれを排除すれば良いというほどの簡単なものではないと思うし、そもそも頭がグルグルと回ってとりとめのない思考がギャンギャンと音を立てて行ったりきたりするだけで何か解決するための努力をする気力すら湧いてこず世界の底へ底へとただ無気力に落ちていく自分を眺めていることしかできないでいた。 人生っていうのは舗装されていたりアップダウンが激しい野良道だったりといろんな道

エモ、音楽に救われた話
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エモ、音楽に救われた話

“エモい”という感覚について説明をしようとしても未だに上手にできない。 友達との話の中で勢いで酷い事を言ってしまったあと後悔が押し寄せてきて、でも素直に謝れずどうして良いかわからなくなってしまったあの放課後のこと。 初めてできた恋人の気持ちが離れていくことに気がついていながらどうにもならなくて少しづつ終わりに向かっていくのをただ悲しんでいただけだったあの夏のこと。 恋人や好きな人ととうまくいかなくなってくると嫌な思い出と良い思い出が矢継ぎ早に頭に浮かんできて息が苦しくなってしまうあの時間のこと。 後頭部がぎゅっと掴まれて、二の腕がしびれて、みぞおちが重くなって重力がなくなったような、それでいて何倍にもなったかのようなあの感覚。 エモいという言葉は自然発生的に使うようになっていた。 高校生の頃に入り浸っていた下北沢のセレクションが大幅に偏ったレコード屋で出会った年下だけど音楽にとても詳しい少年から「やばい曲がある」と聴かせてもらったJimmy Eat WorldのSweetnessに出会った日。(カメ、元気ですか) その後、JEWの名盤Clarityを買って初めて聴いたあの日

Nepal 2019
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Nepal 2019

ベトナムには旧正月(Tet)を盛大に祝う習慣がある。 大体毎年1週間程度の連休となる。 ベトナムは極端に祝日がない国で年の後半なんか一個もないからみんなこのTetを待ち望んでいてもう1ヶ月以上前から国中がそわそわしてしまう、そんなふうに言葉どおり”盆暮れ正月”が一気に来るのだ。 今年はこのTetが10連休くらいになったので前から興味のあったネパールへ行ってみたのでその記録をしておこうと思う。 ちなみに、もちろん一人だ。いつだって、俺は一人だ。 なぜネパールへ?ともし聞かれても別になんとも答えようがないくらいの勢いで決めた。 あえて言うならば去年南インドへ行ったあと気に入って「南インドは最the高!」っていろいろな人に言っていたら割と南インド先駆者達から高頻度にネパールを勧められたから。だろうか。 実は結構直前までイスラエルにいくか悩んでいた。(ヴィーガン料理とクラブカルチャーに興味があったから) 最終的に「よし!ネパールにしよう!」と決意して取れたチケットはすでに事前に調べた価格よりも高くなっていて、深夜にサイゴンを飛び立ち早朝に香港着、数時間香港に放り出されたあと夜にネパールへ飛

引っ越しと孤独について
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引っ越しと孤独について

さて、2018年も終わりということでいろいろと振り返ろうと思ったのですが アルコールに漬け込んだ脳みそは加齢とともに記憶力の衰退を引き起こし、全くもって何も思い出せない。 ということで最近の話になるのですが一人なのに一軒家に引っ越しをしました。というだけの話を信じられないぐらい長く書きます。 主題に入る前に、 実は先週の土曜日誕生日だったので以下のウィッシュリストから送りたいものを僕にプレゼントしてください。 35歳になりました http://amzn.asia/25vJoYv 一軒家に一人で住もうと思った経緯 以前のアパートは1年ほど住んでいて立地、清潔感、大家さん、エレベータなどすべてが理想的で、かつ家賃もそこまで高くなくとても気に入っていたのですが、ずっと「スタジオ作りたい、DJブースちゃんと置きたい!大きな音量で音楽聴きたい!好きな家具だけ置きたい!」という夢があり、 ある日アパートの更新が差し迫ってきたのでいっちょマジで探してみるか!と思い立ってほぼ衝動的に「外国人がホーチミンで不動産を探すためのFacebookページ」みたいなところに「一軒家探してるよ!条件はこれ!」み

Equation(Hanoi VN)とOrganik Festival(Taiwan)の記録
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Equation(Hanoi VN)とOrganik Festival(Taiwan)の記録

ベトナム ハノイで4月に行われたEquation、更にその数週間後に台北で行われたOrganikというレイブ?フェス?野外パーティに連続で行った Equationは住み慣れたサイゴンとは全然違う北部のハノイとはいえ、ベトナムという土地だったのでまぁ大きなトラブルもなくなんとかなったけど、多分はじめてだとなかなかハード 台北は慣れていないので距離感などもつかめず台北から会場への移動にかなりコツが必要であったのでその記録をつけることにした。 ※Organikに関しては翌年(2019年)も参加したのでそこで気づいた点について追記した。 Equation [https://equationfestival.com/] (Hanoi) ハノイ市街から1時間ほど車で行ったキャンプ場で春くらいに行われるパーティ、Questというおそらくベトナムで一番有名な大規模なパーティと同じ会場 > #equation2018 #sontinhcamp #rave #weekend #hanoi #vietnam [https://www.instagram.com/p/BhTdFrklRZr/?ut

インド(ハンピ)に行ってきた
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インド(ハンピ)に行ってきた

ベトナムの旧正月(テト、今年は2月中旬に一週間)インドに行ってきたのでなんか書き残そうと思いつつ、日記形式は面倒くさいのでまとめて書いてみる。 南インドの印象 インドを訪れたのは初めて(というか、東・東南アジアから出るのは今回が初めて)、しかも周りでインドに行ったことのある人はほとんどがニューデリー・ムンバイ・バラナシの北インド 自ずと北インド情報が集まり詐欺師だらけだの、乞食が多いだの街に牛が多くてめちゃくちゃゴミゴミしてて店は汚くて下痢しかしないとにかく大変という情報ばっかり聞いてめちゃくちゃビビっていたんだけど 今回はシンガポール経由でBangaloreに降り立ち、陸路でHospeteという街からHampiという村に行き3日ほど滞在してまた同じルートでBangaloreに帰ってシンガポール経由でサイゴンへ帰るという南インドでもKarnatakaという州の中でしか移動していないからインドというよりKarnataka州の印象になってしまうけど。(つっても片道8時間とか移動してるんだけどね) MAJESTICという長距離バスに乗るところ 噂と全然違ってお店や道で出会う人々は穏やかで

2017年終了にむけて
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2017年終了にむけて

2017年ももう終わりを迎えようとしている ということは例年通り一つを歳をとり34歳になったということでもある。 なんだか35歳って凄い区切りっぽいしそれがもう目の前なんだな。と思わされる数字、34という数字の刻印を望むこともなく勝手に額にねじ込まれている。 ちなみに誕生日の日付が変わる瞬間は仕事が終わったあと一人部屋に帰って豆腐(Tom Xateという干しエビの入ったラー油をかけるとめちゃくちゃうまい)とサラダを食べ、寝っ転がってこの前実家から回収してきたPS VITAでペルソナ4をやっていたらいつのまにか寝落ちしていて、気がつけば24:30くらいだったので出しっぱなしだった食器を洗って歯を磨いて寝た。 自分への誕生日プレゼントはHohnorのピアニカとBOSEのBTスピーカー(Sound Link Micro) [http://amzn.to/2l5xbnk] を買った。ハッピーバースデー俺。 誕生日の話 22日は仕事終わり会社のクリスマスパーティで社外ゲストが持ってきたテキーラ数ショットをキメてベロベロになってから友人のカフェでアナログレコードでRocksteady、Lov

2016年、終わるってさ。
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2016年、終わるってさ。

2016年を振り返ってやろうじゃないか、と思った。 33歳がやってきた “年末がやってきたぞ”と思うのはだいたい12月中旬。ということはそろそろ誕生日がやってくる。 そう、先日、誕生日を迎えてとうとう33歳となってしまった。 前夜は一人自宅でネット配信の逃げ恥を1話から見ており、ぶっ続けで6話終わるくらいで日付を超えたのでそのまま7話まで見て寝た。 ありがたいことに当日は年末の平日だというのに数名の友人が飯屋で祝ってくれて、その後友人のBAR [https://www.facebook.com/bar.kanzaki/] で大騒ぎしながら飲んだ。激しすぎないふんわりとした夜をすごした。女性が全然おらずおっさんだらけの夜だったのが俺っぽいな、と思った。ガッキーさんありがとう。 そして24日はクリスマスを祝おうということで1月で帰ってしまう友人がでかいマンションに住んでるので集まりましょう。とクライミングで出会った人達が集まってホームパーティというやつをやった。リア充っぽい。 とてもキレイで広いマンションで、クラフトビール、焼酎、ワインやウイスキーなどの大量の酒と間違いなく美味い4p’s

2. DJをすることについて考えた
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2. DJをすることについて考えた

だらだらブログ2夜目 DJというものはなんなんだ。と、時々考える。 やってることを端的に言うと人の曲を勝手にかけてるだけだ。その存在にどんな意味があるんだ。 そう考えることがある。 今のところの僕のその解釈はDJとは「プレゼンター」であるべきだ。という考え方だ。 ※DJといっても広義なのでバトルスタイルなどのパフォーマンス系ではなく、ここではクラブで曲を流しているDJとする 元々10代の頃にちょこちょことアナログを集めて時々DJのようなことをしていた。 当時からCDJは苦手だった。というか金なくてCDJなんて買えなかったから使い慣れてなくて現場でも積極的には使えなかった。(当時レコードや曲作りの方の機材ばっかり買ってお金がなくて機材にお金が回らず、Technicsのターンテーブルを買えなかったから安いStantonの中古ターンテーブルとBehringerのミキサーを使っていた) 当時は主にハウス、ドラムンベース、ミニマル・テクノ、デトロイト・テクノあたりのちょっと冷たい感じの音がメインだった。アートコアって流行ったよね。 20代は仕事が忙しかったし、そもそも音楽に対するモチベー

1. 言葉と文化について考えたこと
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1. 言葉と文化について考えたこと

久しぶりに”ブログ”というものを書いて見ようと思って、管理画面を開いてみた。 日本語の長文が書けなくなってきてる。なんでかな?と思うんだけど理由はよくわからない。 そもそもなんでいきなりこんな久しぶりに書こうと思ったかというとちょうどサイゴンへ来て3年という割と長い歳月を過ごしたことに気がついたから。 脈略もなく、ただこの3年という月日をサイゴンで過ごした今、思うことを何日かに分けてただダラダラと書いてみよう。 言葉と文化について考えたこと 3年も日本を離れてサイゴンで生活しているくせに、未だにベトナム語も英語もペラペラとしゃべることができないしネイティブ・スピーカーは本当に何を言っているのか聞き取れないまま。まぁ特に学校にかよったりはしていないんだけどありがたいことにそれでもいろいろな国から来た人と友達になったり話したりする機会も多くて”外国語”というものへの抵抗感は本当に薄くなった。 ベトナム人の英語は訛っていて聞き取れない。とよく聴いていたけど20代前半のサイゴンの若者やその辺の子どもたち、エリート層は当たり前に綺麗な英語を喋るし東京とサイゴンで比べれば英語話者率はサイゴン

悔い改めよ
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悔い改めよ

先日、2014年12月22日を持ちまして、私は31歳となりましたことをここにご報告いたします。 来越当初はぶっちゃけ半年で帰るつもりだったベトナムに来て、早くも2回めの誕生日を迎えました。今のところは特に日本へ帰る予定はありません。(2月後半にちょっと遊びに行きます) 31歳の誕生日に一番良く聞いた曲はこれでした。勝手MVで映像のクオリティが低い LongviewのFalling For You 敬愛する変態Ulrich Schnauss先生が在籍していたバンドです(ただしこの曲当時は参加してないはず…) そして2014年が終わろうとしています。 キリの良い30歳の1年間は丸々ベトナムはホーチミンで過ごす事となりましたが 4月の東京行く時にちょっと上海でストップオーバーして観光したり、旧正月の長期休暇でアンコールワット見てプノンペン寄って帰ってきたり、週末に日本の友人と11年ぶりのバンコクで落ち合って久しぶりにカオサンのゲストハウスに泊まってみたり、ちょっとDJで呼ばれてベトナムとカンボジアの国境ホテルでDJしたりと、元々日本を知らずして海外ばかり行っても仕方ない!とかわけわ