俺とお前らの適切なDistance

俺とお前らの適切なDistance

他人との距離感に悩み続ける人生だった。

ちょっと油断すると踏み込み過ぎて嫌われてしまうんじゃないかとびくびくしながら、しかし元来注意深い人間でもないので割と頻繁に踏み外して踏み込み過ぎて大したことは起きなかったり、やっぱり嫌われてしまったりしている。

人に嫌われるのがすごく怖くて人を遠ざけるような部分があるけど、やっぱりずっと一人ぼっちは寂しいし怖いからなんだかんだで他人との関わりを完全に断つこともできないままだ。

時々人を好きになるが(君たちはすぐに恋愛話にしたがるが、これは恋愛ごとだけの話ではない)、相手に拒絶されるのがとても恐ろしくて踏みとどまっている間に相手はどこかへ行ってしまう。
そしてそれが怖くて時折恐る恐る相手に踏み込んでみる。するとやはり拒絶をされたり、ときには受け入れられてびっくりして立ちすくんでしまう。
すぐにいろんなことから逃げる逃げ癖のついた人生、そのくせ逃げ足が遅くいつもそのへんの小さな障害物に足を絡め取られてすっ転んでる人生だ。

少し前に何もかもが面倒くさくなって、何もかもに疲れてしまって、すべてのSNSを削除して2週間ほど過ごした。
Twitterでは常にだれかがなにかに対して怒っていて、Instagramでは他人の過剰に装飾された生活の断片が延々と流れてくる。Facebookではよくわからない広告のような投稿ばかりが垂れ流されている。
俺のPostやTweetにはLikeがつかないがアイツラのくそつまらないPostには腐るほどLikeがついてゆく。
情報過多だ。脳が処理しきれない。興味のない情報が暴力的に脳みそに降り注いできてグチャグチャに引っ掻き回しては何事もなかったかのように過ぎ去っていく。
頭の中でいろんなノイズが響いて鳴り止まない。
それなのにそれはとても中毒性が高くて自傷行為のように手癖でつい眺めてしまって時間を浪費し、脳のリソースを延々と惰性で消耗する。

SNSを削除していてもやはり10年以上インターネットに張り付いて生きてきた人間が劇的に解脱することはできずブラウザから時々覗いてはいたが、それでもその2週間は漫画を読んだり映画を見たり、ボーッと何もせずにただ音楽を聴いたりという時間がたくさんあった。

今は結局インストールし直してしまったが、今も通知はすべて切っている。
これだけでも随分と精神衛生には良いものだ。

他人との距離感はもう今さら掴むことはできないのかもしれないけど、もうそれでよい。
そんなもんはどうせいつまで考えたって掴むことなんてできない。
みんなそれぞれの感覚で生きていて、それぞれがそれぞれの適切な距離感を持っていて、予想もつかない。
結局は何をしたって人に嫌われるときは嫌われるし、それでも好いてくれたりよく思ってくれる友人はいるのだから、そんなことをくよくよと無意味に考え続ける時間は無駄でしかない。

開き直る。というのはより良い人生を送るうえで非常に重要な才能の一つなのではないかと思う。
開き直る。ということが上手にできないままモヤモヤを抱えてズルズルと片足を引きずって歩きながらもっと大事なはずの色々なものをこぼして歩いてきたのかもしれない。

8月ももう終わる。夏休みの季節はもう、終わりだ。