正月が消えていく

正月が消えていく

2019年が終わり2020年になった。
ハロウィンが過ぎると共に街にはクリスマスのイルミネーションが一気に増える。
年末に向けて仕事が忙しくなっていってバタバタしていると、いつの間にか誕生日が来て一つ年を取り、すぐにクリスマスが来て、街はにわかに浮かれていき、一瞬で年が明ける。
人々が口々にHappy New Year!と叫ぶが、この街にはまだ正月はやってこない。

ベトナムに住んでもう7年目ともなると、この1/1という日付に対する思い入れは本当になくなってきている。
この国では旧正月を祝う。
新暦正月に対しては”それなり”にしか祝わない。12/31まで出勤して祝日は1/1の1日のみで1/2から普通に仕事が始まる。
休み明けに出社してきたメンバーの顔は新年を祝っているという雰囲気よりももうすぐくる旧正月休みへの期待に満ちている。

今年の旧正月は1月最終週なので例年に比べると早く、新暦正月のあと3週間くらいですぐに旧正月がやってくる。旧正月があけると、そこにあるのは年度末だ。
僕らの仕事は日本の顧客を相手にしているので、あまりに猶予がなく今年の1月は例年以上にバタバタしている。

7年目、6回目の旧正月ともなると日本の正月は消滅して完全に旧正月を祝う頭になるのか、というと残念ながらベトナム人の家族も恋人もいない僕には旧正月(それをベトナムではテトという)を祝うカルチャーが生まれることもなくここまで来てしまった。
例年は旧正月の大晦日から1週間ほどのお休みの間まるごと海外に行ってしまうことが多いのもあるだろう。街でテットブイベー!とすれ違う人々と新年を祝うようなこともあまりしてきていない。
感覚的には「正月」というものがうっすらと消えてなくなりかけているような感覚だ。

2019年は今の仕事おいて大きな変化を伴う年で、当然それによって個人の仕事観に対しても大きな変化をもたらした一年だった。
いろいろなことを考えて実行し、マネージャーたちと話をした。
その結果が今だ。
「こうあるべきだ」と信じてやってきた一年だった。その一年に対する自分自身の現在の感想は「少し急ぎすぎてしまった」というものだ。

僕ら”外国人”がベトナムにやってきて”外国”から仕事をとってきて”外国人”相手に”外国語”で仕事をさせている。
日本からベトナムに発注する理由はなんだろうか?と考えると当然色々な理由はあるものの、大きな理由のひとつは「安いから」だ。
なぜ安いのかというとベトナム人の給料が日本人よりも安いからだ。
ベトナムは日本より物価が安いんだから当然でしょう。と思うだろう。
しかし、逆にたくさんの日本の企業が「次にやってくる大きな消費国」ということで、ベトナムへやってきて日本のものを売ろうとしている。当然だがその価格は日本で売られる価格よりも高く設定される。
そう、ベトナムの物価は上がり続けている。特に国内での商業を担っている大都市、ホーチミン市(サイゴン)では特にそれは顕著だ。
その価格上昇が本質的な生産性の上昇に釣り合っているのか、と言う話は差し置いて実際に年々物価はあがっているしそれに伴って給与も上がっている(直近で上がり幅は多少落ち着いてきた)

日本とベトナムの関わり方が根本から矛盾しているのだ。
自分(を含む在住者の少なくない外国人)はその矛盾の中にいる。矛盾の上澄みから給料が支払われている。矛盾のおかげで良い思いができている。
バビロンシステムが生んだ、最低な存在だ。

口では「彼らに幸せになってもらいたい、豊かになってもらいたい」とか「ベトナムは良い国だ、好きだ」、「これから発展していく国だ」なんて言いながら心の奥底では、現地の人々の生活が発展し豊かになるのに伴って物価が上昇いていることに対して(ときに無意識に)舌打ちをしているのだ。

2019年に個人的に目指していた形はモノにならなかった。
むしろ、それまで築き上げてきたものにたくさんの傷をつける結果になってしまった。
夢があった。その夢に向かって大きく振りかぶり過ぎて色んな人を振り落としたり傷つけてしまった。
これではただのエゴイズムじゃないか、と年末に襲ってきた苦しみの中でようやく気がついた。
冷静になって改めて周囲を見ればそれは、思い描いていた状況から大きくかけ離れた厳しい現実だった。
ただの独りよがりだった。
この世のすべてが正解・不正解に白黒つけられるとは思わないが、やはり正解ではなかった。

最低な存在である僕はせめて、数年後には全く違う街になっているだろうここで働いていたみんなが「あそこで働いていてよかった」と思ってもらえるような会社になってほしい。と思ってここにいる。(俺は経営者ではないが)
目の前の売上、現地社員に好かれているか、顧客からの現時点での評価
そんなものは心底どうでも良い。結果は後からついてくると信じている。

俺たちは友達じゃない。
でも、今この時点では仲間だ。
仲間の未来を思い描いて一緒に戦うことはちっともおかしなことじゃない。

自分にプレッシャーをかけすぎてしまったのかもしれない。
先が見えないまま走り続けることが苦痛になってしまった。
これでは日本を出る前に感じていた状況と同じだ。
今まではゴールを設定してそこに向けて走る。ということに興味がなかったが、今年は個人的なゴールを設定することにした。

2020年、スタートは個人的には最悪だ。
しかしこれはまだ年末とも言えるのだ。
テト明けからが勝負だ。
そう自分に言い聞かせて今を乗り切るしかない。