Nepal 2019

Nepal 2019

ベトナムには旧正月(Tet)を盛大に祝う習慣がある。
大体毎年1週間程度の連休となる。
ベトナムは極端に祝日がない国で年の後半なんか一個もないからみんなこのTetを待ち望んでいてもう1ヶ月以上前から国中がそわそわしてしまう、そんなふうに言葉どおり”盆暮れ正月”が一気に来るのだ。
今年はこのTetが10連休くらいになったので前から興味のあったネパールへ行ってみたのでその記録をしておこうと思う。
ちなみに、もちろん一人だ。いつだって、俺は一人だ。

なぜネパールへ?ともし聞かれても別になんとも答えようがないくらいの勢いで決めた。
あえて言うならば去年南インドへ行ったあと気に入って「南インドは最the高!」っていろいろな人に言っていたら割と南インド先駆者達から高頻度にネパールを勧められたから。だろうか。

実は結構直前までイスラエルにいくか悩んでいた。(ヴィーガン料理とクラブカルチャーに興味があったから)
最終的に「よし!ネパールにしよう!」と決意して取れたチケットはすでに事前に調べた価格よりも高くなっていて、深夜にサイゴンを飛び立ち早朝に香港着、数時間香港に放り出されたあと夜にネパールへ飛びたち深夜にKathmandu着(帰りも似た感じだけど香港滞在が更に長い)というコースになった。
実はマレーシア(KL)かバンコク(ドンムアン)経由の方ならもっと安いチケットがあったんだけど、どっちの街もすでにも行った事があるし空港から街へのアクセスと滞在時間を考えると街の観光するには短くかといって空港で待つには長いという苦行ツアーになること必須だったので、せっかくなら少し高いが行ったことのない街でトランジットしたい。
そして、友人の嫁さんが住んでいたりお客さんが住んでいたり、誰しもがそうであったかのように若かりし頃はクーロン城に憧れたりと元々どこかしら縁のある香港を経由にして香港観光もしようと思って最終的に香港経由に決めた。
(ちなみに当然ながら香港も春節なので、邪魔しちゃ悪いなと思ってその縁のある人たちとは特にコンタクトは取らなかった。コミュ障なので)

しかし、テトは前述通り盆暮れ正月が一気にくるのだ。テト前は日本の年末とは全然違う空気感の中イレギュラー状態の忙しさとストレスフルな状況が続き前情報もいまいち調べきれず。
唯一興味があったのは宀(Minh Club)というクラブ、しかし滞在が昼間なので空いてないし、帰りは滞在時間も長いので行きはなんとなく香港の空気感・物価感移動の仕方、SIMの購入、昼食、程度でネパールへ飛び立つことになった。
香港からネパールに向かう飛行機の中では大人気のボヘミアン・ラプソディーを見た。Queenには特に思い入れのない人生だった。(映画は面白かった)

香港にはねこがいっぱいいた

ネパール国内の日程は結果的に
Kathmandu 2日 => Chitwan 2日=> Pokhara 4日 => Kathmandu 2日
となった。
“結果的に”というのはそもそも自分の一人旅行はいつもそうなんだけど、帰りの飛行機と一泊目のホテルだけ取って、中身は完全にノープランで突っ込んでいくから。

今回も一泊目のKathmanduだけちょっと良いホテルを取って(結局この宿を気に入ったのでもう一泊延泊した。気に入っていたんだけど写真を見て「ビン○ディンの隠れ家だ」と言われた)あとは現地で金銭感覚や移動時間、エリアの空気感を多少つかめてから全部考えるようにしている。
いつもはドミトリーとか泊まるんだけど寒くて辛かったので今回は全体的にあまりボロい宿には泊まらず平均20USDくらいの普通のホテルに泊まっていた。万が一お湯が出なかったら死んでしまう。

Kathmandu

まぁとにかく寒かった。
首都である。首都なのにこんなに?っていうくらいに寒くて薄暗い街だった。
砂埃なのかPM2.5なのかわからないがずっと空気が霞んでいる。
そこら中の壁やドアは砂埃で汚れている。
雨が降ると砂ぼこりが泥になってそこら中にこびりつく、雨が止むと乾いて空気中に漂い出す。
昼間は標高1400mらしく日差しがガッツリきて温かいんだけど日陰は寒い。温度差がすごい、そして空気は乾燥しきっていて鼻や喉がガビガビになる。
道端で売っている物を食べる勇気が出ない程度にはとにかくそこらじゅうが埃っぽい街だった。
そして歩くとけっこう疲れる、坂だらけの街だったし全体的に道の舗装は曖昧だった。
しかし標高が高く夕日はきれいで、なんだかのんびりとしていて、人は優しくてインフラもそれなりには整っているので寒いことと空気悪いこと以外でのストレスは案外なかった。

今回はツーリストエリアのThamelに宿泊していてそんなにKathmanduをあちこち回ったりはしていないんだけど、Pashupati Nathというお寺は最高だった。
Thamelエリアから適当なタクシー捕まえて30分くらい、料金は交渉が面倒くさくてぼったくられたから正規の値段は知らない。

火葬場を眺める猿

このお寺はガンジス川の支流にあるらしく、ネパールのヒンドゥー教徒の方は亡くなるとこのお寺に運ばれ、火葬され、川に流されるのだ。
外国人は入れないコアなエリアがあるが、結構入れるエリアが広いので飽きない。
猿がたくさんいて、雰囲気も独自、観光客が多いので超厳粛な雰囲気かといえばそうではないんだけど…ナマグサ・サドゥー(写真を撮れと行って小遣いをせびる偽物の修行僧)もいる。
しかし、お寺の雰囲気や建築も興味深いし寺院のある丘を登るととても眺めが良い。
Kathmanduからも近く、ここは本当に行って良かった。

この寺にはそこらじゅうに猿がいた

有名なダルバール広場にも行ったが、4年経った今も地震の傷跡は激しく建物の壁が崩壊しかけてて木の棒で支えているというような光景が今も広がっていたのが印象的だった。

Chitwan

この川の向こうがジャングル

Kathmanduから複数人に勧められていたPokharaへ行こうかとも思ったけど、ホテルで布団にくるまってNepal情報を調べていたところChitwanというところがPokharaに行く途中にありJungleで野生動物見れる的な話を見かけたので「よっしゃ、行ってみるか!」と思いついてそのままバスチケットを買いに行って翌朝に乗って行ってみた。

バスの中で適当にAgodaで$20くらいのホテルをいくつか見繕って適当に予約、5時間程度?でついて昼過ぎにChitwanの外れにあるバス待機場へ。
バスを降りるとそこら中にTuktuk(って本人達は言ってたけどNepalではリクシャーじゃないのか?)のおっさんがいるので言い値でホテルまで乗っけてもらってホテルにチェックイン。なかなかきれいで広い。
俺は基本的に価格交渉が面倒くさくて苦手だ。

チェックインしながらホテルのおっちゃんに「なんかJungleとか行ける的な話を聞いたんだが?」と聞いたら「今日最終のJeep Safari Tourが20分後にある。4000Rs」と言われたのでその場で予約。
ついでに翌日の朝にPokhara行きのバスチケットも手配してもらった。
急いで部屋に荷物だけおいて、おっちゃんのバイクのケツに乗せられてJeepサファリのスタート地点へ。
適当にその辺にいた10人が一組にされて絶対にいつかひっくり返るカヌーに乗って対岸に渡り、そこで軽トラの荷台に板で無理やりベンチを組み上げたジープと呼ばれる乗り物に乗せられた。
ちなみにJeepサファリの所要時間は4時間だそうである。長い。
一台のジープと呼ばれている軽トラの荷台に10人のアジア人と欧米人(でかい)がキュッと肩と肩が触れ合っている座っている光景を想像していただければだいたい合っている。
ちなみに、俺は人見知りが激しくパーソナルエリアが割合広いほうだ。

鹿とか鳥とかワニとか、そういう「ほう、こりゃぁベトナムでも見れるな」という動物を眺めたり草むらからはみ出たサイのケツを眺めたりしつつも実はツアースタート当初から催していた尿意を走るジープの荷台で振動を感じながら必死に見て見ぬふりをしていたので全然集中できていない。
開始2時間後に休憩ポイントがあったので念願の放出を果たし、完全にいざここからと言った心持ちでしばらく揺れるジープらしきものの振動に身を任せていると突然ガイドが「静かにしろ!」と叫んだ。

彼の指が指す先を追ったらなんだかComplicatedな藪、Complicatedな藪の隙間にでっかい虎の下半身が見えた。10mちょっとくらい先だろうか?ケツだけみてもかなりでかいのがわかる。ガイドは4mの虎だ!と言っていたが確証はない。サイズ感を掴むには微妙に遠いし周りの藪がごちゃごちゃしている。
しかし、こちらの気配に気がついてしまったのかすぐに虎は藪の中に隠れてしまった。
その後20分くらいだろうか、ガイドがカメラを構えジープらしき乗り物のエンジンを切った状態で静かに待っていたがもう出てこなかったので諦めて帰路へついた。
ちなみに、虎を見た時ガイドは滅茶苦茶に興奮状態で車上の顧客がちょっとでも物音を立てると物騒な態度を取っていた。
どうやら虎はめったに見れないらしく、宿に帰ったあとに「どうだった?」と聞かれて「虎おったよ」と言ったら大層驚いていたので本当にレアだったらしい。そんなレアなら写真でも撮っておけばよかった。でもケツだけだしなぁ。

その後、虎の再来を待ち望んで停車していたことが尾をひいて戻り時間がかなり遅くなってしまい解散場所にたどり着く頃にはもう日が落ちかけていた。また木彫りのカヌーで川を渡るので暗くなる前でよかった。結果として5時間の旅だった。
ジープらしき車の荷台から降りるとでっかい野生の豚がフラフラと近づいてきて、おりしも当日は豚年の旧正月の元旦前日。そんな日に野生の豚が見れた!こりゃ縁起がよい!
と思って近づいていったらガイドのおっちゃんが「そいつは噛み付くから気をつけろッ!」と叫んで豚の横っ腹を思いっきり蹴り飛ばしていた。

蹴られていた野生の豚

その後、宿に戻ってからネパール来てから毎日食っても飽きないダルバートを食べ、ホットコーヒー(インスタント)を入れてもらって部屋に戻り、ベランダでタバコとコーヒーを飲みながら読書をした。
Chitwanのジャングル近辺はとても静かで雰囲気がよく、割と気に入ってしまったのでもう一日位いればよかったなぁと少し後悔しながら就寝。
ちなみにChitwanはインド国境の近くでKathmanduと比べて標高が低いので気温の具合はまぁまぁで朝晩も滅茶苦茶に寒いということがなく、とても居心地が良かった。途中通った本体の街はそこそこ大きかったのでジャングル側のこの辺が静かなだけなのかもしれないが。

Chitwanの宿にいた猫

翌朝は6:30に起きてパッキング、朝飯にトーストとスパイシーなじゃがいもを食い、チャイを飲み、おっちゃんのバイクのケツに乗って濃霧が立ち込めて3m先は真っ白で何も見えない早朝の空気のなかぶっ飛ばすバイクで感じる風に震えながらバス停まで行き、Chitwanとはお別れ。こりゃぁ良いところであった。
滞在時間は一番短かったが、結果的に一番好きな場所だったかもしれないな。むしろ短かったからかもしれないが。

Pokhara

Chitwanからバスで5〜6時間くらいだったかな?
無限に続く舗装も曖昧で穴ボコだらけ、ところどころあからさまに何かが崖に落ちていったであろうあとのある歪んだ岩を積んで作られたガードレール、そんな山道をところどころ休憩をはさみながら30km/hくらいで走るガタガタのバスにも慣れてきたころにPokharaに着いていた。
ヒマラヤがよく見れることで有名な場所らしいが、そのためには少し高いところに早朝登ったりしなければいけないらしくってそんなの面倒くさくて結局行っていない。
最終日にせっかくだし行くか!と思って早起きしたら雨が降っていたのでそのまま昼まで寝てしまった。
ちなみに、基本的にはヒマラヤを見るため・もしくは登るためにいく街で、それ以外は何もない街なのに何をしていたのかといえば
飯を食い、散歩をし、その辺のカフェとかホテルの部屋で本を読み、散歩して湖を眺め、部屋に帰って本を読みながら現地の安いラム酒を瓶のまま煽り、酔いつぶれるか泥酔してツイッターにうまくいかない中年男性特有の人生への恨み言を投げ込み続け、寝る。といった具合の3泊4日だった。
そう、Pokharaにいたときの俺の精神は完全になにかに蝕まれていた。

マウンテンバイクで走り回る

2日目は一応マウンテンバイクを借りたんだけど、空気入ってないしギアの調子も悪くて漕ぐの超辛いしアップダウンは激しいし道は舗装されてないしでもう自転車なんて一生乗りたくないと思う程度にきつかった。往復3時間くらいの旅だった。
一時間位走ったときにはもう太ももはパンパンで息は上がりきっていて、帰りを考えるとそのまま湖に身を投げてしまいそうなくらい疲れて、湖のほとりで15分ほど昼寝をしてから帰った。
全長がそこまで長くないツーリストエリアから一歩はずれると道は舗装されておらず空気の抜けたタイヤでガッタガタと上り下りを繰り返すことになる。
「自転車を借りるときははちゃんと選ぼう」という教訓を得た。人生は学びに溢れている。

Pokharaでは本当に特筆すべきことはなにもないほどなんにもしておらず
ある日朝からずっと雨が続いていて寒いし外でれないしでずっと部屋にいて、ぼーっとしながら昼過ぎくらいからラム酒を飲み始めてしまい20時くらいに呼吸が苦しくなるくらいに泥酔し、動けなくなり、そして突然あまりにも人生そのものが辛くなって35歳のおじさんがホテルの部屋で一人号泣するという一大イベントが発生した程度である。孤独と酒は人間をおかしくさせるから気をつけたほうがいい。ちなみにこれを書いている今も心はまだ回復しきっていない。

よく、一人で旅行に行く人は現地の人や他の旅行者と出会い、交流し、仲良くなってInstagramにキラキラしたツーショット写真や親指を立てた厳しい集合写真を上げたりしているが、僕は隣の人がフレンドリーで急に話しかけてきても(このような状況は日常茶飯事だ)愛想の無い真顔で空返事を繰り返してしまう筋金入りの猛烈な人見知りだし、そもそもあんまり初対面で縁のない人間に興味が無く、旅先での心温まる出会い・外国人との交流・旅は人を成長させる!とか「俺はバックパッカーの欧米人の友達いっぱいいるぜ!」って感じの写真撮るみたいなことにも全くもって興味がない。
この旅行を通してホテルやレストランのスタッフ・タクシードライバーとの事務的な会話以外はほぼまともに人間と喋っていなかった。
最終日の方ではさすがにしんどくなっていたようで、普通に道端の犬に話しかけてた。犬はかわいい。

香港

九龍

帰りは香港経由だ。
PokharaからKathmanduへ戻り2日ほど滞在したあとどこかの離島の国内線専用空港みたいなKathmanduの空港から空港内で迷子になりそうな大都会・香港空港へ飛び立つ。
旧正月も終わりに差し掛かったタイミングなのに東京では雪が降りベトナム行きのVNエアの飛行機が朝から遅延しつづけ最終的に夕方になって欠航になるという事件があって阿鼻叫喚あふれるハートフルなタイムラインを眺めながらハーゲンダッツの出るCathay Pacificに乗り込んだ。
しかし席に座った瞬間に爆睡してしまいハーゲンダッツは食いそこねた。これは、この旅行で最も後悔している事柄の一つだ。あの時配られたハーゲンダッツは一体何味だったんだ。

香港には早朝について店もろくにあいておらずやることがないので
とりあえず香港島に行き、中環から上環に向かってひたすら歩いて街の様子を見て回る。大都会だ。中環にはビル以外なにもない。
小雨降りしきる中、道端ではなぜか移民っぽい女性達が数百人単位で座り込んでいて何が起きているのかと思った。その後も特に調べてないので何が起きていたのかは今も知らないままだ。

吉野家で牛丼を食い、いくつかレコード屋を調べてWhite Noise Recordsという猫がいるレコード屋に行き人懐っこい小太りの猫と戯れながらレコードを3枚買い
深夜便から深夜便への乗り継ぎなので風呂に入りたくなり、インターネットで調べたサウナへ行った。
まじかよ。って香港価格の値段の金を支払い、その値段でこれかよって感じの風呂にはいり、滅茶苦茶に熱いサウナとやたらと冷たい水風呂、端っこのベンチで脱力を4往復したくらいでガンギマリして30分くらい気を失った。
最後にザーッとシャワーを浴び、ぶらぶらと散歩しながら夕飯でも食うかと道端で適当な店に入ってメニューを見たらその店は台湾のチェーン店だった。辛い牛肉麺。まぁまぁだったな。隣の超初々しい感じの高校生カップルの女の子がなにかにブチ切れて食い始めてすぐに帰っていったのが面白かった。

White Noise Records

そのままぶらぶらしてたらタイムアウトが近づいてきたので電車を乗り継いで香港空港に向かいサイゴンへと飛び立った。
香港は正直消化不良だった。次回はもっと調べて挑みたいのと、週末を挟んでクラブに行きたい。

考え事

今回の旅行は期間も長く、何もしていない時間が多かったし寒くてとにかく外にいたくなかったので部屋にいる時間が多く「え、それちょっと考えすぎじゃない?」って自分でも驚いちゃうくらい考え事ばかりしていた旅行だった。
寒さは人をセンチメンタルにするし、薄暗さは情緒を不安定にさせ、孤独は人を思考の沼に引きずり込む。
ここ最近あった小さな色々な出来事について思考を巡らせすぎて「消えてなくなりたいなぁ」とか考えていた。

いつもはお酒を飲むとわりかし元気になるのにこのときばっかりはむしろ逆効果で沼に足を取られて死にそうになっていたので後半はお酒を飲まないようにしていた。
しかし、毎年の旧正月のこの孤独な旅行はそれだからやめられない。というところがあるのも確かで、去年のインドでも同じく何をするでもなくハンピでゴロゴロと思考の沼に足を取られていた。
普段見てみぬふりをしたり、無理やり考え込まないようにしていることをゆっくりと時間をかけて言葉を頭の中で反芻しながら答えにもならない何かを引っ張り出す作業は自傷行為に近いとは思うがやめられないのだ。
しかし毎年繰り返しているにもかかわらず今回はいつも以上に攻撃力があったなぁ。やはり寒さやその街・国の雰囲気に引っ張られるのだろうか

ネパールのみかんはとにかく美味い

兎にも角にもネパールはとても良い国だたのでいつか再訪したい。
ぜひ次回はちゃんとヒマラヤも見たい。