Social Distancing Dub.
ある日突然、みんなが新しいウイルスの話をし始めた。
ある日突然、そして日に日に、世界中が大騒ぎになっていった。
中国の問題?東南アジアの問題?むしろヨーロッパやアメリカのほうが被害がでかい?日本もやばい?むしろ日本がやばい?ベトナムはよくやっている?
ベトナム政府からのアナウンスで国中のバーやクラブ、その他の娯楽施設は閉鎖された。
程なくして飲食店はすべてデリバリーとテイクアウェイのみの営業になった。地域によってはテイクアウェイすらも規制された。
国外との飛行機は日に日に減便されていき、最終的にはすべてが停止され、国内の移動手段まで閉鎖された。
多くの会社は”WFH! WFH!”と叫び散らかしながら全面リモートワークに移行した。
もちろんIT企業である弊社もご他聞にもれず、しばらく家からお仕事と相成った。
FacebookやTwitterから流れてくる色んな国の色んな事情、怒号、発狂。狂人の狂言がバカをぶん回す。
Instagramで繰り広げられる充実したいろんな人間の虚飾にまみれたおしゃれな自宅での隔離生活。
突然右翼化、左翼化し始めてよくわからない情報筋の話を引用して「真実を皆に伝えなければ!」と躍起になる迷惑な人々。
ソフトロックダウンとなったベトナム、サイゴンではあったが人々に悲壮感はそこまでなかった。
わりと「しょうがないよね」という感じだ。
そう、ベトナム(サイゴン)の人はいろいろな大変な状況を「まっ!しょうがないよね!」で片付けるのがとても上手なのだ。
それが、ベトナムの人々の”おおらかさ”の根源の一つなのだ。良いところと悪いところは表裏一体だ。
ただ多くの外国人、特に英語教師や飲食関係、イベント関係の職につく人々は職(もしくは収入)を失いビザの更新ができなくなったため緊急帰国をせざるを得ない状態に追い込まれた。
3月から本格的に始まった大騒ぎが落ち着きを見せ、市中感染者が姿を消してしばらくして段階的にソフトロックダウンは解除、バーやクラブなども開いてしばらく街が活気を取り戻していくさなかのある日、突然ダナンの病院で一気に感染者が出た。
折しもソフトロックダウンによって壊滅的状況だった旅行業界が国内旅行を盛り上げるために色々なキャンペーンを打っていたため国内随一の観光地であったダナンへ対象期間に訪れた人々は大変な数になっていた。
再びバーやクラブは一時閉鎖に追い込まれ、前回ほどの厳しさではないものの軽いソフトロックダウンがまた街に訪れた。
2回目のソフトロックダウンにて、1回目はなんとか耐えた人々も力尽きて帰国する外国人がさらに増え、閉鎖する店舗の数も目に見えて増えた。
ありがたいことにソフトウェア開発を生業としている我々の仕事にはそこまでの大きな影響はなかった(ウイルス騒動と関係のない問題は色々あったが)
報道によると国内で毎月数万人が職を失い続けているとのことだったが、そんな”不況”を感じるようなこともなく街は人が多少減ってはいるもののいつもどおり動いているように見えた。
9月から再び市中感染者がいなくなったためすべてのバーやクラブは営業を再開し、多くの会社がリモートワークを解除・緩和しはじめ通勤時間の交通量は日に日に増えていっている。
多くの外国人が出国してしまったためDJが足りず、こんな僕にすらそこそこブッキングがくるような状態になった。
パーティも外国人向けに運営していた箱は小さくなったパイの取り合いをしている状態で、海外からの観光客も入ってこれない状況のため元通り!とは行かないものの、それなりには盛り上がり始めた。
僕は、というと
このロックダウン期間中仕事以外ではずっとDUBを作りいろいろな音楽を掘っていた。
パーティモードがOFFになりつつあったためガツンガツンと踊らせる音というよりもベッドルームで聴いても心地の良い音楽を追い求めるようになり、AmbientやDub、特に90年代のクラシックDub Technoのリバイバルが自分の中で爆発し特にRythm&Sound周辺をひたすら聴いていた。
元々、アンビエントよりの少し跳ねたDub Technoや逆にDUBは聴いていたがこの周辺のレゲエ色が強いDUB TECHNOというのを聴き込んでいたかというとそこまでではなかったがBabe Rootsと出会い一気にこのMinimalでDarkなレゲエ色の強いダブテクノにはまり込んでしまった。
上記に貼った動画を聴いていただければわかると思うが、こんなんどうやってベトナムのクラブでかけんのよ!という雰囲気ではある。
が、クラブが閉まっていた数ヶ月ですっかりはまり込んでしまったのだ。
ゆっくりと、クラブが制限付きで営業を再開してちらほらとブッキングをもらうとまだ客の少ない時間帯にかけたりしていたが少しづつ客足が戻り始めたあたりからもう少しわかりやすく…というフレイバーの追加などをしていって以下のミックス2つを録音、公開した。
一つは自分達で運営しているオンラインラジオ”Mogra Radio”用の録音
こちらは完全にレゲエ色を強め、Dubの沼に足が絡みとられて沈みこんでいくようなミックスになった(7月に公開)
そして続いては9月、2回めのロックダウン開け直後に古い付き合いのSaigon Dub Station界隈が運営しているDJバー “Tempo Saigon”での録音(録画)。恥ずかしながら珍しく顔出しで録画されているため緊張はしたが気の知れた友人達が運営している店のため割とリラックスして収録に望めた。(初っ端からビール飲みながら始めたためスタートボタンを押したタイミングですでに若干酔っ払っていた)
こちらは2時間という尺の指定があったため最初と最後だけ決めてあとはその時の自分のムードに合わせて流れを自由に組んでみたところ割と”the Journey of modern (digital) dub”、といった感じになった。
途中で「これは、DUBと言っていいのか ?とはいえこれテクノか ?」みたいな曲のゾーンに突入したり少しDUBSTEPのようなゾーンに突入したりという流れが起きており、”DUBとは何なのか ?”という最近の自分の考えていることがいい感じで2時間に落とし込めたな。と自画自賛している。
その後、最近はDUBとAmbientの境目を模索しておりビートレステクノ・ダブや薄くビートの乗ったAmbientとDUBテクノのミックスなどを模索している感じだ。
Rhythm & SoundやBabe Roots周辺の音は大好きだが味が濃すぎるので2時間や3時間かけ続けていると飽きてしまうのだ。そしてあまりレゲエ感の強すぎる音ばかりをかけれるような箱があんまりないのだ。
先週末僕が運営に入っているMogra Radioと同じくハノイでYOUTUBE、Soundcloudへの配信及びパーティを行っているかねてから親交のあったクルー Wat De Phởq とともに東南アジア随一のクラブ The Observatoryでありがたくパーテイをさせていただく機会を得て、テラスのオープニングでDJをさせていただき、この周辺の音をゆったりと3時間やった。
これがとても楽しかった。
冒頭に紹介したMIXはこのオープニングセットの最初2時間分をまとめたような形になった。
The Observatoryは1店舗目がオープンした当初から(彼らは3回移転している)ひたすら遊びにいっており、たくさんの友達と出会った、僕にとってサイゴンの生活に欠かせない・僕のサイゴンでの生活にたくさんのイベントを起こしてくれたベニューの一つなのでこのロックダウン開け直後のタイミングで自分がDJをできたことはとても嬉しいことだった。
最終的にパーティが終わったのは土曜日の朝7時だった。
翌日はWAM Saigonという別の馴染みのDJバーでWat De Phởqの撮影をしながらのパーティを行った。
この二日間に何枚かの写真を撮ったので以下に貼り付けておく。動画も何本か撮ったので短く編集して近いうちにYOUTUBEにも上げるつもりだが、カメラ初心者のためうまく撮れている素材が少なすぎて編集作業は難航している。
そして今は、自分の中でノルマを課しながらDUBを作ってみている。
こちらはまだ始めたばかりのプロジェクトで、長年曲を完パケするのが苦手で一生完成しないため今回は期限を設けてサクッと作ってサクッと上げる。年内に10個上げる。と決めて現在5番まできたDub連番シリーズだ。
ギターを引っ張り出してきて録音してDUBしてみたり、Tape Echoシミュレーターをいくつか試し直してみたり、フィールドレコーディングしてみたりといろいろ試しつつ作り込まずにどんどんアイデアレベルでアップロードしている。
とりあえず10個くらい溜まったらいくつかピックアップしてブラッシュアップして完パケしようかと考えている。
生活の面でも色々と新しい出会いや変化があり、今までになくポジティブな気持ちで日々を送れている。周りの人々に感謝だ。
実家の老犬が体調を崩しているが東京に行くこともできず心配だったり、仕事の面でも色々と課題があり解決に追われていたり絶望したりをしてもいるが、程よく元気にやっている。
気がつけばサイゴンでの生活も7年を超え、8年目に突入してからもすでに半年が経とうとしている。
もともとただでさえものすごいスピードで日々変化していたこの国が、この新型ウイルス騒動に伴った各種の問題によってどういうふうに変化していくのかをすごくワクワクしながら楽しみにしている。
ココで生まれ、暮らしてきた人々の価値観に対して良くも悪くも大きな影響を及ぼすことは間違いがないのだけど僕にはまだどういう変化をもたらしていくのかがはっきりとはわからない。