無題 2025

ちょうど20年前、今の会社にアルバイトで入社して暫く経つころに「そういえば、なんでアルバイトなん?」と言われてなんとなく社員登用された。会社は今でこそ小規模とはいえ海外支社もありそれなりの社員数を抱えるが、当時は立ち上がったばかりで社員+業務委託総勢10人以下の超小規模な下請けWEB制作会社だったので基本的に応募さえすれば全員採用されていた。
そんな会社に私は毎日15分遅刻して出勤していてよく怒られていた。
40代に入った今でもまともな人間になれているのか?と問われるとタイミングや環境に恵まれた結果うまいこと生きながらえているだけであって少しでも環境やタイミングが違えば今頃死んでいただろうな。と思うし今でも一歩踏み間違えたら持ち返す能力がないので全ては終わりだろうと感じている。そして、昔から私を知っている近しい人々にもそう言われることも多い。
学校の勉強ができるとかできないとか、そのレベルにも達しておらずそもそも子どもの足で徒歩10分ちょっとの学校にたどりつけなかった。実家を離れ数年後、学校までの道のりを歩いて見たらあまりの近さにすごく驚いたことを覚えている。あの頃はこのたった10分ちょっとの道のりがとてつもなく遠い道のりだと感じていた。命からがら大遅刻をしながらたどり着いた学校で授業を受けていても頭の中に教師の言葉は全く入ってこず、何を言っているのかがいまいち釈然とせず、机やノート、教科書にひたすら落書きをしたり全然違うことを考えてばかりしていた。これは今でもクセが残っていて手で何かをしていないと今でも集中して人の話しを聴くことが逆にできない。
紆余曲折の地獄の10代を過ごし、20代に突入するもいくつかの日雇労働や派遣社員職をやったりやめたりダラダラと消化試合を繰り返している中で趣味でちょっとPearlやHTMLなんかを書いていたので「金が底を尽きたしいっちょ仕事してみっか!」という理由でなんとなく受けてなんとなく働いていた制作会社は立ち上がったばっかりで営業力も弱くいつの間にか「いけるっしょ!」の一言で開発系の案件も増えてきて、とにかく取れる案件は全部取るような状態で他の制作会社が断るような厳しい案件ばかりが現場に降り注ぎ言葉通り寝る暇もなく毎日朝も夜もなく働きオフィスに寝泊まりしていた。実力を完全に超え明らかに経験も足りないまま短納期案件をとにかく断らず足りない人員を全部自分達でどうにか無理やり全部やっていて当然トラブルも多く顧客からまじで怒られることも多くあった。(あんなにマジで怒ってる大人ってあんまり見ることないよな。と今になって思う。)
辛かったか?と問われれば当時は体力的には辛かったのだろうが、暇ができると希死念慮にとらわれてしまうような人間だったので言われるまでもなく勝手に自分を忙しくして無理やり働きさえすれば認められる環境に私は逆に感謝しかないし、なんならあの頃はとても楽しかったのだ。人並のことが何もできず頭が悪く、要領も悪い自分がそれなりの成果を出すには寝ないで働くしかないというのがわかっていたのでオフィスで何かを叫びながら日々その思いを実行していた。寝る間を惜しんでいてもやればやるだけ成果が出てくる状況は人生で一番充実していたと言っても過言ではない。それでも当然頭の良い人が要領よくこなしている仕事の量や質に達することはできなかったが、街の底からしか見えない景色がそこにはあった。私はこの生活の中で多少の歪みを伴いつつも人間になれたのだと思う。そして、確かに怒られることはよくあったけど、それでも当時本当の本当に揉めたときは最後には必ず社長が従業員を守ってくれる安心感があったので安心して背伸びした案件にチャレンジすることができた。
そんな環境で8年ほど働いていたある日、色々あってちょっと前に設立されていたベトナム支社に行かないか?と打診を受け、既に先の見えない状況に若干の飽きを感じ始めていた私はなにをやるのかもわからないまま即時承諾、即時フライトという感じで勢いよくベトナムへやってきた。
そのままベトナムの子会社で眼の前の案件をやっていたらいつの間にやらチームができていていつの間にやら上司と呼ばれるような立場になって案件というよりはチームの課題や会社の課題などに取り組むような場面が増えていた。同時に30代に入り、時代が変わり、夜は普通に家に帰り週末は働かないようなまともな日々に突入し人生をどうやって進めばいいのか、キャリアとは、仕事とは…そんな考えたこともないことを考えざるを得ない状況に勝手に突入し見て見ぬふりをしてとりあえず酒を飲み続けた。それでも頭に入り込んできてはぐるぐると旋回する戯言に振り回されていた。普通なら20代で考えることである、今更考え始めたって既に手遅れなことも多かった。
ベトナムでも上司やチーム、そしてプライベートでも周りに恵まれて仕事もそれなりに色々ありながらもなんとかやっており、まさかの結婚をしたりもした。社会性に乏しかった私がとにかくタイミングと周りの環境に運良く恵まれここまでそれなりの幸福度を保ちながら生きながらえてきた。
そして年をとりいろいろな面で鈍感になり、いつの間にか子供の頃から手の届く場所に常に感触を持って存在していたはずの「消えてなくなりたい」という気持ちは意識して目を凝らさなければ自分でも気がつかないくらいの小さなものになり、生きることが耐えられる程度には苦しくないものになった。
そんないつ死んでもおかしくなかった私には何人かの命の恩人がいる。そのうちの大きな存在の一人は確実に今の会社を立ち上げた社長だと思う。聖人君子のような人間では全くないしメチャクチャだった。しかし、とにかく勤務態度が悪く、言うことも聞かず会社の方針にはなんでもかんでも反対し、恨み言と文句を周囲に叫び散らかしていた私をクビにするどころか怒鳴りつけたりすることもなく何度も何度も繰り返しチャンスを与えてくれて、然るべきタイミングでベトナムへ来るチャンスもくれた。
ベトナムに赴任後暫く、本社へ帰任の打診を無視してベトナム支社に勝手に転籍したあとでも日本やベトナムで会えば、言いたいこともたくさんあっただろうにいつも私の生活を心配ばかりしてくれて「元気でやっとるか?そんならええねん」と他愛もない話しばかりをした。
母が亡くなったときもとても心配してくれて、緊急帰国でバタバタして挨拶もできていない中でおこなった通夜にも参列してくれて小さく地味な式にする予定だったが見栄えするような盛大な花をたくさん送ってくれた。
結婚を報告し、結婚パーティを3週間後にベトナムで開催するぞ!と急に招待状を送りつけたときにも「流石に急やから行けるかわからんけど、できるだけ調整するわ!」と返信があったが結局くることはできなかった。当時から色々と体調を崩していたのは知っていたがそこまで深刻なものだなんて考えもしなかった。深刻な病気を抱えるなんて想像もつかないくらい、とにかく気力と体力の化け物みたいな人だったのだ。
近年日本で一度、一時帰国の際に連絡が来て二人でランチを食べに行ったことがある。いつも通りこちらの生活の心配をしつつ、結婚したことのお祝いと母が亡くなったことによる精神面などの心配をしてくれた。仕事の話はほとんどしなかったが、見た目はそれなりに病人っぽいけど思ったより元気そうじゃん!と思った。
その後、数人の社員を引き連れて数年ぶりにベトナムにやってきたこともあった。いつも新入社員と会うと大はしゃぎするのにみんなで行った食事も有耶無耶にしながら途中で帰ってしまったり、もしかして思ったより元気じゃないのかな?とちょっと心配になった。
日本へ帰国後数ヶ月のうちに入院、その後集中治療室に入ったことを知らされた。「全然元気や!すぐ退院してまたベトナム行くわ!」と言ってはいたがそのまましばらくして、闘病の結果亡くなったという知らせを聞くこととなった。
これは、約一年前のことだ。
今更だけど社長、20年間たくさんの迷惑をかけました。本当に色々とめちゃくちゃだったけど、でも本当に楽しかったですよ。ありがとうございました。
あなたのお陰で私は今も無事に生きながらえることができています。
追伸:母が生前「こんなどうしようもない息子を雇いつづけて人間にしてくれた社長さん、本当にありがたい。いつかご挨拶がしたい。」と常々言ってたんでお互いそういうの苦手そうな組み合わせで申し訳ないけど、そっちでいい感じにしといてください。