「文脈」なき全能感

AIに「なんか21世紀っぽいアートっぽいの適当にだして」で出してもらったやつ

2020年代、クリエイティビティやアートの文脈において本当に真新しいものとは一体何なのだろうか。と最近よく考える。

昨今生成AIの急速な普及にともなって文章ひとつで高精度な絵画や音楽がポイツと書き捨てるように出力されるようになった。
かつてなら膨大な修練を必要とした「それっぽい成果物」が誰にでも作れるようになった。それをもって一部の人は「アーティストの民生化だ」「表現の民主化だ」と調子にのる。

これまでアートや表現についてその理論や歴史をまともに勉強したこともなく、ただ浅くいっちょがみしたりむしろ遠くからチラ見程度をしてきただけの人間が、浅はかな人間がすぐにそれっぽいものを出せるだけのAIを手に入れた途端に「これからは誰でも作れるんだ」などとはしゃいでいるのを目にするのは控えめに言ってもとんでもなく苦苦しい思いがする。

私は決してアンチAIではない。仕事柄AIは日常的にめちゃくちゃ使うし、そもそもAIを利用したシステムそのものを構築する側でもある。プライベートの趣味であるオーディオや音楽制作の現場でもAIを散々活用しているし、その恩恵はその辺のユーザーよりも理解しているつもりだ。

私が心の底から煮えたぎるような怒りと絶望を感じているのはAIという技術そのものに対してではない。
これまでアートや表現に一度も真剣に向き合ったこともシラフの状態で深く考えたこともない人間がAIを使ってちょろっとそれっぽいものを出できただけで「アートなんて誰でもできる」とすべてを理解したかのような口を利いている底の浅い態度に対してである。AIを利用して今まで実現できなかった表現を実現することには別に不快感はない。

単に目の前に提示された表層的なオブジェクト(出力されたデータ)だけを指すのがアートなのだろうか?そこに至るまでの身体的なプロセス、試行錯誤の苦痛、歴史的・文化的な文脈(コンテクスト)、そして表現者が背負う背景や思想。
そのありとあらゆる不可視の要素が積み重なり、絡み合って初めて「その人の作品」となるのではないか。頑張ってこれはいいぞ!と作り上げてもボロクソのこき下ろされて、そこから死に物狂いでアドバイスすくい上げてなんとかかんとか次に活かしていくプロセスは本当に何かに置き換わるのだろうか?

誰かが人生を賭けて積み上げて作り上げたアウトプットとしての作品をはたから学習したAI、そのAI自体も他人が莫大な資本を投じて組み上げたアルゴリズムであり、それを使って適当な文章をぽいっと放り込んだだけで生み出されたもの。
それ自体を個人的に楽しむ分には何の問題もない。個人の自由だ。

しかし、その程度の即席の出力をもって「AIはさらに進化し、アートにおいても人間に追いつき、追い越す」とドヤ顔で語る人々には激しい嫌悪感がある。

そう思うのは勝手だし「そう思うのならそうなんだろう、お前の中ではな」という話でしかない。そもそも表現をするということそのものやその歴史について1ミリも考えたこともないような人間が、一体何をもって「追いついた」「追い越した」などと判断できるというのだろうか。
彼らが見ているのはアートの本質ではなく単に「それっぽいデータ」の表面的な解像度が上がったという技術的な手品に過ぎない。

さらにタチが悪いのは、こちらがこうした表層の出力に対する違和感を口にすると、決まって「すぐにAIはそれもカバーするでしょう」「プロンプトや技術が進化すれば解決する」と安易に返してくる手合いだ。
いや、進化はしていくしどこまでもそれっぽくはなっていくのだろう。しかしそれは「で?それで?」という話でしかないのだ。

そんな浅薄なアップデートの先に何があるというのか。そもそも「それっぽいこと」がそんなに嬉しいのか。そこに何の価値を見出しているのか、マジで心の底から意味がわからない。 何事においてもそうだが、ろくに考えもせず調べもせず、テクノロジーの威を借りてわかったフリをし、偉そうなことを言うのは人間として最高最悪にみっともない。

それはクリエイティブの世界に限らず人としての普遍的な「美意識」の欠及だ。

AIの進化によって表現の「表層」を作るコストは限りなくゼロになった。だからこそこれからの時代、真新しく、かつ決定的な価値を持つのは逆説的に「なぜそれをやるのか」という人間の意志とそこに至るコンテクストの深度そのものになる。 安易な全能感に身を委ね、自ら思考することを放棄した人間には一生かかっても辿り着けない領域が確かに存在する。テクノロジーを道具として冷徹に使いこなすことと自分が表現者になったと錯覚することは完全に別物なのだ。

で?今、何を表現するんだ?お前は今何を思っているんだ。お前は今何故そう思っているんだ?お前の人生は何だったんだ?何があった?どう思った?何故そう思った?何故そう思たと思った?お前が今そこでそうしているのは何故だ?どうしてそうしようと思った?何故そうするべきだと思った?何故そうするべきだと思ったのかについて考えたことがあるか?お前はお前自身が無意識に持つその価値観を理解しようとしたことがあるか?何故その価値観を持った?それはどのように変容してきた?何故変容した?お前が思っているお前の人生の振り返りは本当にあったことか?思い込みではないか?思い込みではないと思える根拠はなんだ?お前は誰だ?