We were Depressed at all.

We were Depressed at all.

本当にいろいろなことがあった数ヶ月だった。
そんな中でこの間ベトナムに来て丸6年が経過した。
6年いて何ができただろう?大口叩いて偉そうにいろいろと口出しして説教垂れながら、一体なにが実現できただろう?
ただなんとなく年をとって、ただなんとなくホーチミンで6年を過ごした。

Organik Festival初日は土砂降りだったが祈りが通じてどんどん晴れていった。

今年は2月にネパールへ行き、その後フェスにブッキングをもらって国内のビーチへ行き、東京出張、京都へ友達の結婚式、そして4月終わりの連休には去年と同じく台湾のOrganik Festivalへ行き帰ってきてすぐに社員旅行でDa Latというベトナムの軽井沢みたいなところへ行った。
いつも家でゴロゴロしながら独りで酒を飲み続けているだけの人生なので、こんなに短期間でたくさん外へ出たのは本当に久しぶりのことだった。
すべて(当然、社員旅行以外だけど)一人で計画して一人で行ったがほとんどの行き先には偶然友人がいたりして結果的に孤独ではなかったりした。
その移動の合間を縫ってまたいろいろなことも起きて疲れと現実感のなさにバカでかい5月病のようなものを発症してしまったようだ。

最近、一人の人に「あなたはSocialな人だ」と言われた。
そのシリアスなメッセージを読んだときに僕は思わず笑ってしまった。
なぜなら僕は自分自身がSocialとは程遠い人間だと思っているからだ。
「あなたはPartyが好きな人だ」とも言われた。
僕にとってのPartyとその人が思うPartyには大きな隔たりがあるだろうなと思った。
SNS上で見て想像する僕と現実の僕ではやってることは同じでも大きなイメージの違いがありそうだな、と思った。

僕はただ音楽が好きで、良い音楽を聴いていたいだけだった。
あちこちのフェスに行ったり、DJをしたりしているがパーティでもフェスでも僕は基本的に一人だった。
ホーチミンに来て、東京とは比べ物にならないほど音楽に関わる人々の世間の狭さと日本人社会の狭さにより今は今までの人生で一番友人が多いだろうと思う。
確かに今、僕には友人が多いのだ。日本で生きていた頃の僕には「友達」と呼べる存在は本当に片手で数えられるくらいしかいなかった。
あの頃手元のiPhoneの画面にはアプリのアップデートと仕事の通知ばかりが並んでいた。

街で一番好きなクラブにて

5年前、この街の暮らしにもある程度慣れた頃、自分の好きな音楽がかかるパーティがほとんどなかったので自分たちでパーティを立ち上げた。
街に馴染むことのできない僕がやった、たった一つこの街に向けてしたポジティブな行動だった。
当然のように集客に苦しんだが4年以上続けた。4年以上その時その時の僕達が正しいと思うパーティをやり続けた。
わかりにくいことをしていたな、と自分でも思うがそのおかげで街のDJに認知してもらえて、ちょこちょことブッキングをもらうこともできていた。
その当時、かわいがってくれていた一人の尊敬する先輩ベトナム人DJから言われたことがある「お前のDJは悪くないが、Friendlyではないな」
この街でDJがブッキングをもらうのに一番大事なことはパーティに呼びやすい人間関係を作ることだったりする。でも、僕は他人としゃべることが苦手だった。自分のDJの出番以外はだいたい誰とも喋らずソファーに静かに座っていた。
みんなみたいにハイタッチやハグでお酒を片手に中身のない雑談をして笑顔になることができなかった。
ブッキングの数はこの街にDJが増えることと反比例して減っていった。

DJをすること、についてはいろいろと思うことがあるが楽しいと思う。
仲間も増えた。
昔の僕はクラブに行っても酒か水を片手にフロアの端っこで斜に構えて仏頂面のまま突っ立っていた。
今は水を片手に一人でニコニコしながらフロアで踊っている。
何が僕を変えたのかはわからないが、昔よりも音楽が「楽しいもの」になったのは間違いなかった。
音楽は僕にとってずっと救いであったことは間違いがないが、ここ数年で一気に受け入れ方が変容していっていることを感じる。
ただただ息苦しいこの人生に救いを与えてくれるだけのものではなく、ただただ楽しいものにもなってくれた。

街で一番好きなカフェにて

サイゴンという街は僕を救ってくれたのか、は今の僕にはわからない。
あのまま6年前この街に来るという選択を取らず東京で働き、暮らしていたら今頃どうなっていたのかも今となってはわからない。
当然ながらこの街で暮らしてきた6年間がいいことばかりだったかといえば、思い出せるのは嫌なことや悲しいことのほうが多い気もする。(そういう性格なのだ)
でも、僕は東京に帰るという選択肢を現時点でも持ってはいないしサイゴンという街に生きている。
この街で出会った人々と仕事したり遊んだり好かれたり嫌われたり興味をもたれたり、持たれなかったりしながら暮らしている。

京都での友人の結婚式は本当に良かった

7年目に入ったが特に抱負などもなく、ただなんとなく暮らしを続けるだろう。
このままいれば自分自身の加齢や急激な街と国の発展の影響できっと何かの変容があり続けるんだろう。
そしてそれに対して文句を言ったり言わなかったりしながら受け入れたりうまく受け入れられなかったりするだろう。
ただ、少なくとも現時点でサイゴンは僕にとって”住みやすい街”であることには間違いがない。