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9年目のQuarantine
life

9年目のQuarantine

気がつけば8年経っていた。サイゴンへ来て住み着き、あれやこれやと生きていたら8年経っていた。 2,3年前のPostに書いた家にまだ住んでいる。猫は増えた。 当時の同居人はパートナーとの間に子供ができて結婚したので家を出て今は嫁さんの家(一軒家)に嫁の弟と一緒に暮らしている。玉の輿だ。 一部屋空いてしまったのでスタジオにでもしようかな、と思って色々と手を出し始めたが、家賃の負担が一気に上がったので案外手元に現金が残らなくなっており、あまり進まないままだ。 少し生活を見直す必要があるように思う。冷蔵庫が壊れて購入し直したりしていて家も出ていないくせに割と出費がかさんでいる。 在宅ワーク中、「静かだな」と思って振り返るとだいたいこうなっている 思えば去年の4月ごろからじわじわとベトナム国内でも話題になり、隔離やらなにやらが始まった謎の疫病騒動がここまで長引くとは思いもよらなかったものだ。 そして、ここまでうまく封じ込め作戦をやってきていたベトナムにもとうとう、ウイルスが飛び込んできて、大きく広まった。 僕が住んでいるサイゴン市内でも毎日3桁台の患者がでるようになった。 欧州のように外出制限こそはないものの、社会隔離という名で都市間移動は制限され各種飲食店はすべて持ち帰りとデリバリーのみになり、最終的には不要不急の店舗は営業停止、タクシーも台数制限がかかり街は静寂に包まれた。 っていうとかっこいいんだけど実際はそこまで静寂でもない。 今回は今までにない勢いだしこのウイルスもなんだか新種だが変異種だかってやつで(当初ベトナム・オリジナルブレンドのすげえやつ。と報道されたがそれは勘違いでいわゆる”普通の”変異種でデルタ株っていうやつらしい)なかなかやばそうな雰囲気はあるものの、1年以上にわたる度重なる抑圧で多くの市民はどうにももう緊張の糸が切れてしまっているようにも見える。ワクチンとやらの摂取はだんだんと進んではいるようだ。(我が家のもとにはとくにそんな話はやってこないが) 子猫のMaoは毎日一生懸命仕事の邪魔をする。 5月の連休はパートナーの実家を訪ねてハノイまで遊びに行ったがそのタイミングで北部で市中感染が発生し、帰ってきてからも「直近で北部に行ってた人は出社しないでね」と政府から会社にお達しがきてしまった。 そこから3週間後にはホーチミン市全体は感染拡大による社会隔離に突入し、結局ほぼそのまま引き続きの在宅ワークとなった。

Social Distancing Dub.

Social Distancing Dub.

ある日突然、みんなが新しいウイルスの話をし始めた。 ある日突然、そして日に日に、世界中が大騒ぎになっていった。 中国の問題?東南アジアの問題?むしろヨーロッパやアメリカのほうが被害がでかい?日本もやばい?むしろ日本がやばい?ベトナムはよくやっている? 新しいMIXを録音して公開したので、よろしければ聴きながらお読みください ベトナム政府からのアナウンスで国中のバーやクラブ、その他の娯楽施設は閉鎖された。 程なくして飲食店はすべてデリバリーとテイクアウェイのみの営業になった。地域によってはテイクアウェイすらも規制された。 国外との飛行機は日に日に減便されていき、最終的にはすべてが停止され、国内の移動手段まで閉鎖された。 多くの会社は”WFH! WFH!”と叫び散らかしながら全面リモートワークに移行した。 もちろんIT企業である弊社もご他聞にもれず、しばらく家からお仕事と相成った。 FacebookやTwitterから流れてくる色んな国の色んな事情、怒号、発狂。狂人の狂言がバカをぶん回す。 Instagramで繰り広げられる充実したいろんな人間の虚飾にまみれたおしゃれな自宅での隔離生活。 突然右翼化、左翼化し始めてよくわからない情報筋の話を引用して「真実を皆に伝えなければ!」と躍起になる迷惑な人々。 ソフトロックダウンとなったベトナム、サイゴンではあったが人々に悲壮感はそこまでなかった。 わりと「しょうがないよね」という感じだ。 そう、ベトナム(サイゴン)の人はいろいろな大変な状況を「まっ!しょうがないよね!」で片付けるのがとても上手なのだ。 それが、

正月が消えていく

正月が消えていく

2019年が終わり2020年になった。 ハロウィンが過ぎると共に街にはクリスマスのイルミネーションが一気に増える。 年末に向けて仕事が忙しくなっていってバタバタしていると、いつの間にか誕生日が来て一つ年を取り、すぐにクリスマスが来て、街はにわかに浮かれていき、一瞬で年が明ける。 人々が口々にHappy New Year!と叫ぶが、この街にはまだ正月はやってこない。 ベトナムに住んでもう7年目ともなると、この1/1という日付に対する思い入れは本当になくなってきている。 この国では旧正月を祝う。 新暦正月に対しては”それなり”にしか祝わない。12/31まで出勤して祝日は1/1の1日のみで1/2から普通に仕事が始まる。 休み明けに出社してきたメンバーの顔は新年を祝っているという雰囲気よりももうすぐくる旧正月休みへの期待に満ちている。 今年の旧正月は1月最終週なので例年に比べると早く、新暦正月のあと3週間くらいですぐに旧正月がやってくる。旧正月があけると、そこにあるのは年度末だ。 僕らの仕事は日本の顧客を相手にしているので、あまりに猶予がなく今年の1月は例年以上にバタバタしている。 7年目、6回目の旧正月ともなると日本の正月は消滅して完全に旧正月を祝う頭になるのか、というと残念ながらベトナム人の家族も恋人もいない僕には旧正月(それをベトナムではテトという)を祝うカルチャーが生まれることもなくここまで来てしまった。 例年は旧正月の大晦日から1週間ほどのお休みの間まるごと海外に行ってしまうことが多いのもあるだろう。街でテットブイベー!とすれ違う人々と新年を祝うようなこともあまりしてきていない。 感覚的には「正月」というものがうっすらと消えてなくなりかけているような感覚だ。 2019年は今の仕事おいて大きな変化を伴う年で、当然それによって個人の仕事観に対しても大きな変化をもたらした一年だった。 いろいろなことを考えて実行し、マネージャーたちと話をした。 その結果が今だ。 「こうあるべきだ」と信じてやってきた一年だった。

猫のネコが家族になった

猫のネコが家族になった

ある日、会社の若者から突然InstagramのDMで「どちらがよいですか?」のメッセージが添えられて2匹の生まれたての子猫の動画が送られきた。 どういった要件かよくわからないが、こちらでは往々にしてそういったよくわからないタイミングでよくわからない会話が唐突に始まるものなのでとりあえず「左の子がかわいいね」と適当に返した。 特にその日返信はなかった(これもまた、こちらではよくあることだ) 翌日会社でその子とすれ違いざまに「あのメッセージの子猫は何?」と聞いたところ前に雑談の中で僕が「猫を飼いたい」と言ったのを覚えていてくれて、ちょうど家で子猫が2匹生まれたのであげようとおもって。ということだった。 いつ受け取りますか?ということだったがすぐ数日後には1週間の東京出張が控えていたので「ちょっと準備期間を数週間くれ」と答え、急いでGoogleに”子猫 迎える 準備”と打ち込み、出てきたサイトをかたっぱしからチェックして必要そうなものをGoogle Keepにチェックリスト化して登録、通販でトイレやベッド、おもちゃなどいくつか購入、家の近所にあるペットショップを数件探して視察、餌やトイレ砂などの消耗品の入手経路を把握するなどした。 色々と猫用のトイレやベッドなどを調べてみたが、しかしなぜペット用品というのはこうもピンクやブルーのファンシーで安っぽいプラスチック製のものばかりなんだろうか。 “こんなもの絶対に部屋に置きたくない” と思う多数を避けながらいくつかの通販サイトや街のペットショップを回って少しづつ迎える準備を揃えていった。 来たばかりの頃は今よりもっと小さかった そしてある土曜日、会社の子が友達とバイクの2ケツで我が家へ、それはもう熟年のデリバリー配達員のように現れ手際よく挨拶もそこそこに、バッグから子猫を取り出して玄関先で僕に手渡すとすぐにバイクに乗って帰っていった。 彼女は一瞬で過ぎ去っていったが、そこには確かに子猫、それももう赤ちゃんというレベルの子猫が一匹、僕の手から逃れてごちゃごちゃとしたガレージの一角に積まれた機材の影に身を隠しながら小さな身体をプルプルと震わせてぴぃぴぃと泣き続けていた。

俺とお前らの適切なDistance

俺とお前らの適切なDistance

他人との距離感に悩み続ける人生だった。 ちょっと油断すると踏み込み過ぎて嫌われてしまうんじゃないかとびくびくしながら、しかし元来注意深い人間でもないので割と頻繁に踏み外して踏み込み過ぎて大したことは起きなかったり、やっぱり嫌われてしまったりしている。 人に嫌われるのがすごく怖くて人を遠ざけるような部分があるけど、やっぱりずっと一人ぼっちは寂しいし怖いからなんだかんだで他人との関わりを完全に断つこともできないままだ。 時々人を好きになるが(君たちはすぐに恋愛話にしたがるが、これは恋愛ごとだけの話ではない)、相手に拒絶されるのがとても恐ろしくて踏みとどまっている間に相手はどこかへ行ってしまう。 そしてそれが怖くて時折恐る恐る相手に踏み込んでみる。するとやはり拒絶をされたり、ときには受け入れられてびっくりして立ちすくんでしまう。 すぐにいろんなことから逃げる逃げ癖のついた人生、そのくせ逃げ足が遅くいつもそのへんの小さな障害物に足を絡め取られてすっ転んでる人生だ。 少し前に何もかもが面倒くさくなって、何もかもに疲れてしまって、すべてのSNSを削除して2週間ほど過ごした。 Twitterでは常にだれかがなにかに対して怒っていて、Instagramでは他人の過剰に装飾された生活の断片が延々と流れてくる。Facebookではよくわからない広告のような投稿ばかりが垂れ流されている。 俺のPostやTweetにはLikeがつかないがアイツラのくそつまらないPostには腐るほどLikeがついてゆく。 情報過多だ。脳が処理しきれない。興味のない情報が暴力的に脳みそに降り注いできてグチャグチャに引っ掻き回しては何事もなかったかのように過ぎ去っていく。 頭の中でいろんなノイズが響いて鳴り止まない。 それなのにそれはとても中毒性が高くて自傷行為のように手癖でつい眺めてしまって時間を浪費し、脳のリソースを延々と惰性で消耗する。 SNSを削除していてもやはり10年以上インターネットに張り付いて生きてきた人間が劇的に解脱することはできずブラウザから時々覗いてはいたが、それでもその2週間は漫画を読んだり映画を見たり、ボーッと何もせずにただ音楽を聴いたりという時間がたくさんあった。 今は結局インストールし直してしまったが、今も通知はすべて切っている。 これだけでも随分と精神衛生には良いものだ。 他人との距離感はもう今さら掴むことはできないのかもしれないけど、もうそれでよい。 そんなもんはどうせいつまで考えたって掴むことなんてできない。 みんなそれぞれの感覚で生きていて、それぞれがそれぞれの適切な距離感を持っていて、予想もつかない。 結局は何をしたって人に嫌われるときは嫌われるし、それでも好いてくれたりよく思ってくれる友人はいるのだから、そんなことをくよくよと無意味に考え続ける時間は無駄でしかない。 開き直る。というのはより良い人生を送るうえで非常に重要な才能の一つなのではないかと思う。 開き直る。ということが上手にできないままモヤモヤを抱えてズルズルと片足を引きずって歩きながらもっと大事なはずの色々なものをこぼして歩いてきたのかもしれない。 8月ももう終わる。夏休みの季節はもう、終わりだ。

ランボー怒りの麻婆豆腐

ランボー怒りの麻婆豆腐

2019年の6月が驚きのスピード感でもって過ぎ去りいつのまにやら一年の半分を過ぎていて気がついたら7月になっていた。 最近は仕事上でいろいろな事があり、プライベートにおけるいろいろなことに思いを馳せる余裕もなくなってきた。 働き、金を稼ぎ、飯を食い、酒を飲み、音楽を探して買い、寝る。 平日に時々サウナに行ってブツブツと独り言を言いながら水風呂とサウナを行ったり来たりして頭を空っぽにし、週末はクラブへいって音を浴びて頭を空っぽにしながら足踏みをする。 世の中にはうまく行っている人もいるしうまく行っていない人もいる。 時間は放っておいても進むから気がついたら1年が終わり、5年経ち、10年経ち、そのうち死ぬ。 やらなければいけないことが目の前にうず高く積み上げられているのを毎晩眺めながらビールを飲んでいる。 手を付けることもないまま軽く酔っ払い始めた頭で思いだけ馳せて「明日頑張ろう」と独り言をつぶやきながら歯を磨いて、寝る。 そして翌日同じようにビールを1本、2本と胃に流し込みながら前を見上げてみるとそれは更に高く積み上がっていて、下の方はもう潰れてぐちゃぐちゃになって手もつけられないしどうしようもなくなっている。 頭ではわかっている。「どうにかしないと」「解決するために一生懸命考えないと」 言葉だけが上滑りしてあっちこっちの彼方に消えていく。 ただただ焦燥感だけが残る。もう一本だけ、缶ビールのプルタブをひねる。 今大事でないことばかりに気を取られて頭のリソースが常に逼迫している。 自分の中には答えがないものに悩んだところでそこに答えなんてないのはわかっているはずなのに脳にこびりついて離れてくれない。そういうものに脳みそが乗っ取られている間に色々なことが勝手に起きてにっちもさっちもいかなくなる。 日曜日、起きたらシーツを剥がして一週間分の洋服とバスタオルと一緒に洗濯機にいれてスイッチを押す。 シャワーを浴びて、イヤホンをして、散歩がてらスーパーマーケットに行って食材と酒を買い、帰り道に好きな食器屋さんで食器を買う。 Spotifyでその時の気分でPlaylistを選んでお気に入りのBluetoothスピーカーから流れてくる音楽を聴いて、飯を作り、買ってきたばかりの皿に乗せて食べる。洗い物をして、ついでにキッチンを掃除して、勢いが出てきてたら寝室も片付ける。 一息ついて一服したら屋上に行って洗濯機から洗濯物を出して干す。 シーツを張り替えたベッドに横になってそのまま昼寝をする。 起きると外は薄暗くなっていて、音楽を切り替えて夕飯を作り、

We were Depressed at all.

We were Depressed at all.

本当にいろいろなことがあった数ヶ月だった。 そんな中でこの間ベトナムに来て丸6年が経過した。 6年いて何ができただろう?大口叩いて偉そうにいろいろと口出しして説教垂れながら、一体なにが実現できただろう? ただなんとなく年をとって、ただなんとなくホーチミンで6年を過ごした。 Organik Festival初日は土砂降りだったが祈りが通じてどんどん晴れていった。 今年は2月にネパールへ行き、その後フェスにブッキングをもらって国内のビーチへ行き、東京出張、京都へ友達の結婚式、そして4月終わりの連休には去年と同じく台湾のOrganik Festivalへ行き帰ってきてすぐに社員旅行でDa Latというベトナムの軽井沢みたいなところへ行った。 いつも家でゴロゴロしながら独りで酒を飲み続けているだけの人生なので、こんなに短期間でたくさん外へ出たのは本当に久しぶりのことだった。 すべて(当然、社員旅行以外だけど)一人で計画して一人で行ったがほとんどの行き先には偶然友人がいたりして結果的に孤独ではなかったりした。 その移動の合間を縫ってまたいろいろなことも起きて疲れと現実感のなさにバカでかい5月病のようなものを発症してしまったようだ。 最近、一人の人に「あなたはSocialな人だ」と言われた。 そのシリアスなメッセージを読んだときに僕は思わず笑ってしまった。 なぜなら僕は自分自身がSocialとは程遠い人間だと思っているからだ。 「あなたはPartyが好きな人だ」とも言われた。 僕にとってのPartyとその人が思うPartyには大きな隔たりがあるだろうなと思った。 SNS上で見て想像する僕と現実の僕ではやってることは同じでも大きなイメージの違いがありそうだな、と思った。 僕はただ音楽が好きで、良い音楽を聴いていたいだけだった。 あちこちのフェスに行ったり、DJをしたりしているがパーティでもフェスでも僕は基本的に一人だった。 ホーチミンに来て、東京とは比べ物にならないほど音楽に関わる人々の世間の狭さと日本人社会の狭さにより今は今までの人生で一番友人が多いだろうと思う。 確かに今、僕には友人が多いのだ。日本で生きていた頃の僕には「友達」と呼べる存在は本当に片手で数えられるくらいしかいなかった。 あの頃手元のiPhoneの画面にはアプリのアップデートと仕事の通知ばかりが並んでいた。 街で一番好きなクラブにて 5年前、この街の暮らしにもある程度慣れた頃、自分の好きな音楽がかかるパーティがほとんどなかったので自分たちでパーティを立ち上げた。

何者にもなれなかったけど何かを諦めきれないおっさんという存在

何者にもなれなかったけど何かを諦めきれないおっさんという存在

去年末で35歳になった。今年36歳になる。 もうこれは、どうあがいたところでまごうことなきおっさんだ。 おっさんの定義ってなんだろう?とか色々考えてさんざん駄々を捏ねたが、まぁなにわともあれ35歳は間違いなくおっさんだろう。という結論になった。 ココ最近のエントリーを読んだという非常に趣味の悪い読者の方はお気づきかと思うが35歳を迎えた直後くらいからここ数ヶ月完全に精神をおかしくしてしまっていた。特に旧正月に訪れたネパールで完全にこじらせてしまってからのここ2ヶ月くらいは本当に辛かった。 原因としては色々と思い当たるフシはあるのだけど人生は常に内から外から色々な要素が複雑に絡み合って事象を構成するので原因が一つの物事に帰結してそれを排除すれば良いというほどの簡単なものではないと思うし、そもそも頭がグルグルと回ってとりとめのない思考がギャンギャンと音を立てて行ったりきたりするだけで何か解決するための努力をする気力すら湧いてこず世界の底へ底へとただ無気力に落ちていく自分を眺めていることしかできないでいた。 人生っていうのは舗装されていたりアップダウンが激しい野良道だったりといろんな道を進んで行って、時々深い/浅い、広い/狭い いろんな谷にはられた橋を選んで渡って進み続けるようなものなんじゃないかと最近思っていて、時にはもう小学3年生の男子が図画工作の授業で勢いで作ったような明らかに強度が足りないちんちくりんな吊橋に歩を進めてしまう、進めざるを得ないときもある。 そして、長い長い途方もなく長い吊橋に恐る恐る足を進めたところで突然強い横風が吹いてグラグラと大きく揺れ、縄がちぎれかけ、そのへんのものを掴むのが精一杯で前にも後ろにも進めなくなることもある。 そして、ときにはある日突然それはちぎれて落ちてしまうこともある。 落ちてしまえば、運が良ければ別の橋やロープ・枝なんかに引っかかって致命傷を受けたり受けなかったりしながらもなんとか生きながらえたり。とそういうことがおきる。 そして、場合によっては死ぬ。 人生が長い旅路なのだとしたらその道中でどんな道と橋を選んでどんな結果がまっていたとしてもそれは最終的には自分で選択して歩みを進めるしかできない。 色んな人がいろんなことを言うが、奴らはその結果に対して責任なんてとってはくれない。 地方議員が地元への賄賂代わりに公金を投入して作ったような立派なコンクリートと鉄筋で作られた大きな橋だけを選んで舗装された国道を歩き続ける事もできる。 もちろん立派な国道に架けられた立派な橋はとても安心だ。でも、日々のストレスにやられてストロングゼロを飲んだおっさんが運転するトラックに轢かれて死ぬこともあるからせいぜい背後には気をつけてろよ。 僕は本当に何も考えていなくて、 気がついたらこの歳で結婚もせず、長らく恋人もいない状態で東南アジアの端っこで目立たないようにほそぼそと生きていた。それが今だ。 一所懸命に何かに打ち込んで生きてきたのかと問われれば自信を持って「そうだ」とは答えられない人生を歩んできた。 流れ流されふわふわとしたまま思考を止めて多くの人が若い頃に身を投じていた努力をせず、流れに身を任せて生きていた現在の結果が今なのだ。 気がつけば国道から大きく離れた深い山の中の獣道を昼夜なくテクテクと独り重い足を引きずって歩いていた。 結果としての今なら甘んじて受け入れることしかできないが、

エモ、音楽に救われた話

エモ、音楽に救われた話

“エモい”という感覚について説明をしようとしても未だに上手にできない。 友達との話の中で勢いで酷い事を言ってしまったあと後悔が押し寄せてきて、でも素直に謝れずどうして良いかわからなくなってしまったあの放課後のこと。 初めてできた恋人の気持ちが離れていくことに気がついていながらどうにもならなくて少しづつ終わりに向かっていくのをただ悲しんでいただけだったあの夏のこと。 恋人や好きな人ととうまくいかなくなってくると嫌な思い出と良い思い出が矢継ぎ早に頭に浮かんできて息が苦しくなってしまうあの時間のこと。 後頭部がぎゅっと掴まれて、二の腕がしびれて、みぞおちが重くなって重力がなくなったような、それでいて何倍にもなったかのようなあの感覚。 エモいという言葉は自然発生的に使うようになっていた。 高校生の頃に入り浸っていた下北沢のセレクションが大幅に偏ったレコード屋で出会った年下だけど音楽にとても詳しい少年から「やばい曲がある」と聴かせてもらったJimmy Eat WorldのSweetnessに出会った日。(カメ、元気ですか) その後、JEWの名盤Clarityを買って初めて聴いたあの日の衝撃。 Jim Atkinsのボーカルと透明感のあるコーラスにまとわりつくキラキラとしたギターの旋律が心を鷲掴みにしてきて、何回聴いてもすぐにまた聴きたくなるからずっとCDウォークマンにいれて家でも外でも何度でも繰り返し聴き続けていた日々。 そこにはあの頃の僕らには言い表す語彙力がなくて、ジャンル名からそのままひっぱってきて「エモい」としか言い表せない感情・感覚があった。 その後どんな音楽を聴いても「エモさ」を求めるようになり、音楽以外の全てにおいて追い求めるようになってしまった”エモ”さ Emo好きたちが「この曲めちゃくちゃエモい!」「昨日見たXXって映画めっちゃエモい」「この前こんなことがあって、すごいエモくなっちゃった」なんて言っていたあの頃。 その後数年経ったらいつの間にかネット用語・ギャル語として”エモい”がTVでも聞く言葉になったときは身内言葉だと思っていたから驚いた。

Nepal 2019

Nepal 2019

ベトナムには旧正月(Tet)を盛大に祝う習慣がある。 大体毎年1週間程度の連休となる。 ベトナムは極端に祝日がない国で年の後半なんか一個もないからみんなこのTetを待ち望んでいてもう1ヶ月以上前から国中がそわそわしてしまう、そんなふうに言葉どおり”盆暮れ正月”が一気に来るのだ。 今年はこのTetが10連休くらいになったので前から興味のあったネパールへ行ってみたのでその記録をしておこうと思う。 ちなみに、もちろん一人だ。いつだって、俺は一人だ。 なぜネパールへ?ともし聞かれても別になんとも答えようがないくらいの勢いで決めた。 あえて言うならば去年南インドへ行ったあと気に入って「南インドは最the高!」っていろいろな人に言っていたら割と南インド先駆者達から高頻度にネパールを勧められたから。だろうか。 実は結構直前までイスラエルにいくか悩んでいた。(ヴィーガン料理とクラブカルチャーに興味があったから) 最終的に「よし!ネパールにしよう!」と決意して取れたチケットはすでに事前に調べた価格よりも高くなっていて、深夜にサイゴンを飛び立ち早朝に香港着、数時間香港に放り出されたあと夜にネパールへ飛びたち深夜にKathmandu着(帰りも似た感じだけど香港滞在が更に長い)というコースになった。 実はマレーシア(KL)かバンコク(ドンムアン)経由の方ならもっと安いチケットがあったんだけど、どっちの街もすでにも行った事があるし空港から街へのアクセスと滞在時間を考えると街の観光するには短くかといって空港で待つには長いという苦行ツアーになること必須だったので、せっかくなら少し高いが行ったことのない街でトランジットしたい。 そして、友人の嫁さんが住んでいたりお客さんが住んでいたり、誰しもがそうであったかのように若かりし頃はクーロン城に憧れたりと元々どこかしら縁のある香港を経由にして香港観光もしようと思って最終的に香港経由に決めた。 (ちなみに当然ながら香港も春節なので、邪魔しちゃ悪いなと思ってその縁のある人たちとは特にコンタクトは取らなかった。コミュ障なので) しかし、テトは前述通り盆暮れ正月が一気にくるのだ。テト前は日本の年末とは全然違う空気感の中イレギュラー状態の忙しさとストレスフルな状況が続き前情報もいまいち調べきれず。 唯一興味があったのは宀(Minh Club)

引っ越しと孤独について

引っ越しと孤独について

さて、2018年も終わりということでいろいろと振り返ろうと思ったのですが アルコールに漬け込んだ脳みそは加齢とともに記憶力の衰退を引き起こし、全くもって何も思い出せない。 ということで最近の話になるのですが一人なのに一軒家に引っ越しをしました。というだけの話を信じられないぐらい長く書きます。 主題に入る前に、 実は先週の土曜日誕生日だったので以下のウィッシュリストから送りたいものを僕にプレゼントしてください。 35歳になりました http://amzn.asia/25vJoYv 一軒家に一人で住もうと思った経緯 以前のアパートは1年ほど住んでいて立地、清潔感、大家さん、エレベータなどすべてが理想的で、かつ家賃もそこまで高くなくとても気に入っていたのですが、ずっと「スタジオ作りたい、DJブースちゃんと置きたい!大きな音量で音楽聴きたい!好きな家具だけ置きたい!」という夢があり、 ある日アパートの更新が差し迫ってきたのでいっちょマジで探してみるか!と思い立ってほぼ衝動的に「外国人がホーチミンで不動産を探すためのFacebookページ」みたいなところに「一軒家探してるよ!条件はこれ!」みたいな軽いポストを下手くそな英語で投下したところ大量の問い合わせがあり、探しているのは一軒家だっつってんのに皆バンバン前のめりにアパートを紹介してくる中からポロポロと紹介される一軒家をピックアップして週末に見てみる。とかしていた結果今の家を発見。 ガレージのDJブースに立つ同居人 清潔さ、作り、家賃も高すぎずなんとか払える額(相場からしたらほんとに安い!)とすべてのバランスが完璧、立地は川が近いのでちょっと大雨降ると家の前の道が冠水して河になる+会社が遠い(バイクで30分)。という課題はあるものの「まぁなんとかなるっしょ!」とその場で契約、2週間後に引っ越し、現在にいたります。 ちなみに住んでいたアパートは友人に紹介して現在は友人が住んでいます。キッチンの引き出しがスパイス臭いそうです。

Equation(Hanoi VN)とOrganik Festival(Taiwan)の記録

Equation(Hanoi VN)とOrganik Festival(Taiwan)の記録

ベトナム ハノイで4月に行われたEquation、更にその数週間後に台北で行われたOrganikというレイブ?フェス?野外パーティに連続で行った Equationは住み慣れたサイゴンとは全然違う北部のハノイとはいえ、ベトナムという土地だったのでまぁ大きなトラブルもなくなんとかなったけど、多分はじめてだとなかなかハード 台北は慣れていないので距離感などもつかめず台北から会場への移動にかなりコツが必要であったのでその記録をつけることにした。 ※Organikに関しては翌年(2019年)も参加したのでそこで気づいた点について追記した。 Equation (Hanoi) ハノイ市街から1時間ほど車で行ったキャンプ場で春くらいに行われるパーティ、Questというおそらくベトナムで一番有名な大規模なパーティと同じ会場 #equation2018 #sontinhcamp #rave #weekend #hanoi #vietnam katoさん(@slowbirds)がシェアした投稿 – 2018年 4月月8日午前2時12分PDT 雰囲気や音 パーティとしては3ステージ(メインはハウスとテクノ、テクノステージはハードめのテクノ、そして湖畔のチルステージ)、わりとBPM130以下のゆるい音が多めで明るい時間帯はURとか系の音とかもなっててとてもピースフルな雰囲気 ハノイ随一のアンダーグラウンドクラブ Savageとホーチミン随一のアンダーグラウンドクラブ “Observatory”が関わっていてスピーカーも”どっから持ってきたの!”ってほどにFunktion Oneが積み上げられていて音も良い。 今年はPowder(個人的ベストアクト!)とか台湾勢(BassKitchen界隈)とかも回していてとても良かった。

インド(ハンピ)に行ってきた

インド(ハンピ)に行ってきた

ベトナムの旧正月(テト、今年は2月中旬に一週間)インドに行ってきたのでなんか書き残そうと思いつつ、日記形式は面倒くさいのでまとめて書いてみる。 南インドの印象 インドを訪れたのは初めて(というか、東・東南アジアから出るのは今回が初めて)、しかも周りでインドに行ったことのある人はほとんどがニューデリー・ムンバイ・バラナシの北インド 自ずと北インド情報が集まり詐欺師だらけだの、乞食が多いだの街に牛が多くてめちゃくちゃゴミゴミしてて店は汚くて下痢しかしないとにかく大変という情報ばっかり聞いてめちゃくちゃビビっていたんだけど 今回はシンガポール経由でBangaloreに降り立ち、陸路でHospeteという街からHampiという村に行き3日ほど滞在してまた同じルートでBangaloreに帰ってシンガポール経由でサイゴンへ帰るという南インドでもKarnatakaという州の中でしか移動していないからインドというよりKarnataka州の印象になってしまうけど。(つっても片道8時間とか移動してるんだけどね) MAJESTICという長距離バスに乗るところ 噂と全然違ってお店や道で出会う人々は穏やかで道を聞いても英語で丁寧に教えてくれるし、その辺の店でも接客の感じもそんなにひどくないし強引な客引きもいない、子供たちはみんなめちゃくちゃ人懐っこくて手をふって来たりバスに乗ってたら隣に座って英語で話かけてきて雑談してきたりかわいいし、訪れた街は全体的にキレイだし交通ルールはサイゴンよりよっぽど整然としていて…歩きタバコをする人はいなくてタバコを吸う人はみんな道の隅っことかにいるし、と本当に全体的にストレスがないところだった。 とはいえ、ベトナムに5年住んでいるおじさんが言うことなので、一本入ったらアスファルトなくて土が盛ってあったとか、道路脇にでっかい穴があいててごみがいっぱい詰まってた。とか見ても何も感じないので東京から来たら色々あるかもしれない… 最終日、空港行きの路線バスの乗り場が不安で若い男性に「エアポート行くバスここくる?」って聞いたらぶっきらぼうに「待ってれば来るよ」って言われて実際バス着たら「コレに乗れば空港いけるよ!」って教えてくれたのが印象的だった。いや、普通といえば普通のことなんだけど、なんか色々不安になりながら来たインドで印象が大きく変わった後にあったこの小さなやり取りがすごい印象的だったんだよね。 Bangaloreの街角 HospeteからBangaloreに帰る寝台列車を乗り過ごしてたまたまたどり着いたMysuruというBangaloreから150kmほど南部の街にも予定外に数時間滞在したがここも凄くキレイな学園都市という感じの街だった。 翌朝寝過ごして知らない街に連れて行ってくれる寝台列車を待っている 滞在日数が短く移動も多いので全体的にあまり冒険した飯(屋台飯)は食べず、高級レストランも行ってはいないが大体現地人向けローカルレストラン的なところが多かったけど美味しいし店も言うほど汚くないし全く問題なかった。 これだけでも「北インドと南インドは別の国みたいなもん」

2017年終了にむけて

2017年終了にむけて

2017年ももう終わりを迎えようとしている ということは例年通り一つを歳をとり34歳になったということでもある。 なんだか35歳って凄い区切りっぽいしそれがもう目の前なんだな。と思わされる数字、34という数字の刻印を望むこともなく勝手に額にねじ込まれている。 ちなみに誕生日の日付が変わる瞬間は仕事が終わったあと一人部屋に帰って豆腐(Tom Xateという干しエビの入ったラー油をかけるとめちゃくちゃうまい)とサラダを食べ、寝っ転がってこの前実家から回収してきたPS VITAでペルソナ4をやっていたらいつのまにか寝落ちしていて、気がつけば24:30くらいだったので出しっぱなしだった食器を洗って歯を磨いて寝た。 自分への誕生日プレゼントはHohnorのピアニカとBOSEのBTスピーカー(Sound Link Micro)を買った。ハッピーバースデー俺。 誕生日の話 22日は仕事終わり会社のクリスマスパーティで社外ゲストが持ってきたテキーラ数ショットをキメてベロベロになってから友人のカフェでアナログレコードでRocksteady、Lovers、そしてDubを聴きながらビールを飲み、用意してもらったケーキを食べ、23時から移動して更に夜中2時過ぎから2時間近くも加藤史上非常に珍しいDancehall寄り(Dancehallではないけど)のセットでレゲエをかけて自分で踊り、朝方に帰って無事就寝。 昼に起きて前日持ち運んだDJ荷物の整理をしていたら愛用のOrtofon Concorde Scratch(レコードの針)の持ち手部分が折れていて悲しい気持ちになった。まぁ、もう10年以上使ってるやつだし仕方がないか…あと数枚7inchを紛失。記憶があまりない。 23の夜は夜でマンションの一室を借りてクリスマスパーティというリア充の嗜みに混ぜていただいてそこでも再度誕生日を盛大に祝ってもらって、またテンション上がっちゃったもんだからそのまま数件はしごして朝までクラブに行ってしまった。久しぶりにアフターパーティーまで行ってハウスを聴きながら朝日を浴び意識朦朧の中、帰宅。 そうなると当然、翌クリスマス・イブは頭痛と疲労で身動き一つできないまま夜を迎えるのだ。所謂二日酔い、体力の限界、大人の嗜み。メリークリスマス。 View this

2016年、終わるってさ。

2016年、終わるってさ。

2016年を振り返ってやろうじゃないか、と思った。 33歳がやってきた “年末がやってきたぞ”と思うのはだいたい12月中旬。ということはそろそろ誕生日がやってくる。 そう、先日、誕生日を迎えてとうとう33歳となってしまった。 前夜は一人自宅でネット配信の逃げ恥を1話から見ており、ぶっ続けで6話終わるくらいで日付を超えたのでそのまま7話まで見て寝た。 ありがたいことに当日は年末の平日だというのに数名の友人が飯屋で祝ってくれて、その後友人のBARで大騒ぎしながら飲んだ。激しすぎないふんわりとした夜をすごした。女性が全然おらずおっさんだらけの夜だったのが俺っぽいな、と思った。ガッキーさんありがとう。 そして24日はクリスマスを祝おうということで1月で帰ってしまう友人がでかいマンションに住んでるので集まりましょう。とクライミングで出会った人達が集まってホームパーティというやつをやった。リア充っぽい。 とてもキレイで広いマンションで、クラフトビール、焼酎、ワインやウイスキーなどの大量の酒と間違いなく美味い4p’sのピザやいくつかの持ち寄り料理を囲みながら、ちょっと高級なスーパーで買ってきたパテなんかもつまみながら。 我ながらなんだこれは、リア充かよ。と思いながらベロベロに酔っ払っていったんだけど、そんな中でサプライズで誕生日まで祝っていただきとてもおもしろい33回目の誕生日となった。 いい年してもこんなふうに楽しめるのっていいじゃない。と思った。子供もいたり、子供みたいな大人もいたり。 ぼかし済み 基本的にサプライズは苦手、ともすれば嫌いだったんだけど、初めてほんとにちゃんと皆がやってくれたのを見たら そんな気持ちも吹き飛んだものでした。 皆さんありがとう。こんな冴えない東南アジアに沈没してるおっさんのために皆さんが労力を割いてくれてありがたい以外の感情が消え去りました。 その日はそのまま深夜まで酔っ払い続け、良い気分で寝床についたのでした。 相変わらず宴の後、真っ暗な自宅に帰って歯を磨いてはりねずみに餌を上げて一人寝る、この瞬間は寂しくもあるし心地よくもある。 2016年の音楽活動

2. DJをすることについて考えた

2. DJをすることについて考えた

だらだらブログ2夜目 DJというものはなんなんだ。と、時々考える。 やってることを端的に言うと人の曲を勝手にかけてるだけだ。その存在にどんな意味があるんだ。 そう考えることがある。 今のところの僕のその解釈はDJとは「プレゼンター」であるべきだ。という考え方だ。 ※DJといっても広義なのでバトルスタイルなどのパフォーマンス系ではなく、ここではクラブで曲を流しているDJとする 元々10代の頃にちょこちょことアナログを集めて時々DJのようなことをしていた。 当時からCDJは苦手だった。というか金なくてCDJなんて買えなかったから使い慣れてなくて現場でも積極的には使えなかった。(当時レコードや曲作りの方の機材ばっかり買ってお金がなくて機材にお金が回らず、Technicsのターンテーブルを買えなかったから安いStantonの中古ターンテーブルとBehringerのミキサーを使っていた) 当時は主にハウス、ドラムンベース、ミニマル・テクノ、デトロイト・テクノあたりのちょっと冷たい感じの音がメインだった。アートコアって流行ったよね。 20代は仕事が忙しかったし、そもそも音楽に対するモチベーションがあまりわかずレコードや機材は本当に気になるものはちょこちょこと買っていたけど家で触ったりするだけで現場に出ることもあんまりなくなり、デジタル化の流れには追いつけずにいた。 そもそも20代はクラブ自体そんなにたくさんは行かなかった。 20代はどちらかと言うと現代音楽(post classical)やポストロック、アンビエント等のダンスミュージックというよりは頭でっかち系音楽とそれをよく鳴らすためのオーディオシステムにひたすら金を注ぎ込んでいたからDJというものとの相性があまり良くなかった。あとアイドルポップスを凄い聴いていた。 時々アンビエント系エレクトロニカとpost classicalだけのセットとか組むこともあったけど、結局自分で聴くだけでその方向で現場で回すことはなかったしどこでそういうのやればいいのかもわからなかった。 20代も終わりに差し掛かりピークよりは仕事が落ち着きはじめた頃からちょっと明るめの音楽を聴くようになり、当時のムーブメントに乗ってNew Jersey系やFutureBass系の音・ドラムンベースの再熱なんかでまたダンスミュージックを多めに聴くようになってきたころにいろいろあってベトナムへ引っ越し。 日本にいた頃よりも時間があったけど遊ぶところもわからないし毎日飲み歩く金もないしでなんとなく始めたラップトップでのDJが楽しくて、機材をちゃんと揃えて久しぶりに本格的に始めなおして友達とイベントとかをやっているうちにだんだんとこちらでもパーティに呼んでもらえるようになってきて、3年弱たった現在では月に2回くらい、多い月では4,5回のペースで現場に出てる。 もちろん物価の違う国だし、それくらいの頻度だと全然お金になるレベルではないんだけど。 元々友達をいっぱい呼んで楽しもう、

1. 言葉と文化について考えたこと

1. 言葉と文化について考えたこと

久しぶりに”ブログ”というものを書いて見ようと思って、管理画面を開いてみた。 日本語の長文が書けなくなってきてる。なんでかな?と思うんだけど理由はよくわからない。 そもそもなんでいきなりこんな久しぶりに書こうと思ったかというとちょうどサイゴンへ来て3年という割と長い歳月を過ごしたことに気がついたから。 脈略もなく、ただこの3年という月日をサイゴンで過ごした今、思うことを何日かに分けてただダラダラと書いてみよう。 言葉と文化について考えたこと 3年も日本を離れてサイゴンで生活しているくせに、未だにベトナム語も英語もペラペラとしゃべることができないしネイティブ・スピーカーは本当に何を言っているのか聞き取れないまま。まぁ特に学校にかよったりはしていないんだけどありがたいことにそれでもいろいろな国から来た人と友達になったり話したりする機会も多くて”外国語”というものへの抵抗感は本当に薄くなった。 ベトナム人の英語は訛っていて聞き取れない。とよく聴いていたけど20代前半のサイゴンの若者やその辺の子どもたち、エリート層は当たり前に綺麗な英語を喋るし東京とサイゴンで比べれば英語話者率はサイゴンのほうが圧倒的に高いと思う。 とくにサイゴンという都市部にて暮らしているからかもしれないが、特にエリートとはいえないクラブとかで知り合った若者たち(saigoneseと呼ばれる、遊び慣れた都会っ子達)でも本当に皆ちゃんとした発音で英語をしゃべるし、その辺の小さな商店の子供が英語が通じない母親に変わって英語で通訳してくれたりする。スラングとかも使いこなしてる。 だから、ろくな英語もしゃべれない日本人が「ベトナム人の英語は〜(笑)」とか話しているのを聞くと本当に恥ずかしくなる。 View this post on Instagram A post shared by slowbirds (@slowbirds) 僕も含めて、なぜ日本人の英語教育がここまで遅れてしまっているんだろう?

悔い改めよ

悔い改めよ

先日、2014年12月22日を持ちまして、私は31歳となりましたことをここにご報告いたします。 来越当初はぶっちゃけ半年で帰るつもりだったベトナムに来て、早くも2回めの誕生日を迎えました。今のところは特に日本へ帰る予定はありません。(2月後半にちょっと遊びに行きます) 31歳の誕生日に一番良く聞いた曲はこれでした。勝手MVで映像のクオリティが低い LongviewのFalling For You 敬愛する変態Ulrich Schnauss先生が在籍していたバンドです(ただしこの曲当時は参加してないはず…) そして2014年が終わろうとしています。 キリの良い30歳の1年間は丸々ベトナムはホーチミンで過ごす事となりましたが 4月の東京行く時にちょっと上海でストップオーバーして観光したり、旧正月の長期休暇でアンコールワット見てプノンペン寄って帰ってきたり、週末に日本の友人と11年ぶりのバンコクで落ち合って久しぶりにカオサンのゲストハウスに泊まってみたり、ちょっとDJで呼ばれてベトナムとカンボジアの国境ホテルでDJしたりと、元々日本を知らずして海外ばかり行っても仕方ない!とかわけわからん抱負を持って日本の山とか行ってばっかりであまり海外旅行をするタイプではなかったのに今年は去年以上にやたらと外へ出た一年でした。 ホーチミンにいると日本にいるよりも近くて安く海外へいけるのです。 2015年もマレーシア、ラオス、ミャンマーとか色々行ってみたいなぁ 31歳の一年間、及び2015年は全力でクリエイターぶってみなさんにうざがられようかな、と思っておりまして。 とりあえず全ては形からなので、ということでポートフォリオ公開用にWEBサイトを作っておきました。 http://slowbirds.pub Githubでソースコード公開してるから気になるところはフォークしてpullrequest送ったりISSUE登録しておいてね! github.com/slowbirds/slowbirds.pub2015 あと、ちゃんと英語の勉強したいのでお金下さい。 こちらでは旧正月が正式なので年末年始は通常営業だしあんまり年の瀬感はないんだけど、皆様良いお年を〜 そんじゃーねー!